断甘亭日常 やっかいな病気・糖尿病とつき合う

入院の記録

文/小池一三
2010年08月23日 月曜日
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5月24日(月)午前10時に、浜松医療センターに入院しました。12日間の予定でしたが、結果的に3日間短縮されて、9日間の入院となりました。

入院生活は、保養とまでは行かないまでも、まあ自由なものでした。
朝と午後に開かれる、糖尿病と生活習慣改善に関する勉強会(約30分程度)と、特別な検査メニュー(2時間に1回、1日6回の採血や、尿を12時間溜め続ける等)を除くと、食事前の血糖値と血圧の検査、全日程中3回の診察と、あとは館内の散歩と、1日1回のシャワーという毎日でした。奔走人をもって任じ、年中全国を走り回っている身からすると、天から与えられた休暇といってよかったのかも知れません。

主治医は自分!

この勉強会は、誰にも分かる、軽い内容のものでした。糖尿病とは何か、三大合併症(腎障害・網膜症・足潰傷など神経障害)の話、血糖コントロールの大切さ、治療の基本は食事療法と運動療法と薬物治療の三つであることを、繰り返し、しつこいほど頭に入れるというもので、この病気の患者にはそれが一番の得策なのでしょう。

この病気の治療法は、完治させる方法はありません。健康な状態をいかに維持するかに限られ、いかにうまく付き合っていくか、自分をコントロールできるか否かが決定的に重要な病気です。バランス良く食べ、食べ過ぎないよう注意し、適度な運動を続けること、それに尽きるのです。

勉強会は、医薬メーカーが制作したビデオ鑑賞が主でした。ビデオの案内役を『フーテンの寅さん』で、妹さくらの亭主である博役を演じる前田吟が務めていて、この人の実直な性格がよく出ていました。当たり前のことをいうだけで、詰まらないことこの上ありませんが、こちらはその当たり前のことを怠ってきただけに、黙ってビデオを見るほかありません。家の者からいわれたら、「分かってる!」と大声を挙げるところです。
この入院はつまり、糖尿病は、自分が主治医の病気であることを自分に言い聞かせるためのものであって、何か劇的なことが起こるわけではないのです。
愉しみといえば、毎朝、売店で新聞を買い込んで読むこと、買って来た本(評判の村上春樹の『1Q84』を2日間で一気読みしました)を読むこと、ニュースなどをテレビでみることなどで、あとは空いている時間を利用して、工務店のパンフレット原稿や、久々にweb「びお」の特集原稿(『カラス「考」――カラスは人間社会の写し絵』『一坪里山をつくろう!』など)を書いたりして過ごしました。

病院食

苦痛を感じたといえば、病院食でした。
好き嫌いが多く、嫌いなものは口にしない、間食にお菓子を頬張る日々を繰り返してきたわたしにとって、病院食はツライものがありました。

食べるものは朝・昼・晩、三度の食事だけ。この回転が早いのです。お昼を食べたかと思うと、すぐに夕飯がやってきます。選択メニューなどもあって、栄養士さんが献立に相当に神経を使っているのは分かりますが、わたしの場合、プラスチックの食器に盛られているという、その一事をもってイヤなのですから始末に負えません。要するに「不良」なわけで、取り合わない方がいいというヤカラです。
それでもわたしは、毎回出された病院食のほとんどを食べました。食後、何%食べたかを書き込まなければならず、記録が掛かると、わたしは好き嫌いを超えて取り組んでしまうタチです。「団塊の世代」の哀しい習性です。嫌いな人参の煮物も、皮の付いた鶏肉も、涙を流しながら食べました。そんな連続なので、次の食事がすぐにやってくると思ったのでしょう。

「禁煙」のときもそんなふうでした。わたしはかれこれ10回ほど「禁煙」を試みましたが、その都度、挫折を繰り返しました。最後の挑戦(6年前)の時に、これは自分への挑戦だという決意に立ちましたら、ガマンを続けることができました。あまりに苦痛で、煙草代わりに割り箸を口にし、とうとう一本、齧り切ったことがありました。「禁煙パイポ」の口元は真っ平になるまで齧るのが常でした。あの日々に比べれば、というのが入院の際、自分に言い聞かせたことでした。

病院食で感心したのは、好きな食べ物を一つ(たとえば杏仁豆腐など)配してくれていることです。バランス的に配されているに過ぎないのでしょうが、特別のはからいのように思えて、それが唯一の救いでした。「断甘」といいながら、まあ、低血糖にならない程度の「甘味」は許されるのです。
入院中、自分が排出する尿のすべてを、指定された長い包状のビニール容器に流し込む検査がありました。24時間に及ぶものなので、その量は半端なものではありません。トイレのすぐ横に、同時期に入院したほかの患者のものを含め、そのビニール容器は置かれているのですが、尿糖によるのか、これが強烈な異臭を放っています。きれいなニッキ色のものもありましたが、濃い紅茶色をしたものもあり、わたしは作業を済ませるとそそくさと立ち去りました。けれど、これを検査する人がいるわけで、その人の作業の難儀を思わないではいられませんでした。

難儀なことといえば、同じ病棟に痴呆症と思われる老人の患者がいて、夜中に奇声を発します。叫び声を聴く限り、内臓の丈夫さをうかがわせ、体力もありそうです。ただ四肢だけが思うにまかせないという感じです。とにかく声が大きく、病棟中に響きます。そのたびに看護師たちは対応に追われていました。
この叫び声を聴きながら、何度も夜中に起こされました。迷惑な話です。
患者のわがまま放題もさることながら、家で面倒を見切れないので病院に入れているという感じを受けました。どういう事情があるのか分かりませんし、一概に悪くいうのはどうかと思われますが、家族は、その対応に追われる人たちに想像力を働かすべきではないか、そこが抜けているのでは、と思いました。
こういう事は、日本中の病院、福祉施設で起こっていることだろう、と思いました。それぞれの家族の事情もあり、むずかしい問題です。今回の場合は、一般患者と同じ病棟にそういう患者が置かれた点に問題があると思いました。

9日間の検査記録

9日間の検査記録は、以下の通りです。

期日 血糖値(朝) 血糖値(昼) 血糖値(夜) 体重 万歩計 血圧
24(月) 入院 261 226 63.9 1,619 84〜122
25(火) 237 311 188 63.4 1,427 61〜93
26(水) 223 288 193 63.6 3,857 68〜122
27(木) 184 229 180 63.9 5,200 70〜123
28(金) 158 252 160 63.3 6,163 76〜120
29(土) 166 188 114 63.4 7,683 79〜129
30(日) 152 185 161 63.6 6,313 76〜129
31(月) 164 225 112 63.1 10,662 71〜106
01(火) 150 148     9,581 退院
平均 183 242 167 63.5    
世界糖尿病デー(11月14日)のシンボルマーク「ブルーサークル」

世界糖尿病デー(11月14日)のシンボルマーク「ブルーサークル」

入院前の血糖値394に比べると随分下がりましたが、それでも空腹時血糖値で300を超える数値もあって、良好というほどのものではありません。けれど後半には112(31日夜)を記録することもあり、その時の検査は散歩のあとだったので、散歩が意外と効果のあることを実感しました。

入院で何が収穫だったかといえば、ほかの糖尿病患者の話を聞けたことでした。
糖尿病患者に共通しているのは、全体に浮腫んだ感じと、目と肌色の生気のなさです。殊にインシュリンを1日4回注射しなければならない患者は、その行為に疲れ果てているように感じました。明日も続く「死の行進」という感じです。
インシュリン注射は腹部に打ちますが、1日4回も打つと注射タコができて、赤く腫れた注射タコにまた針をあてて、ブスリと打ち込まなければなりません。
足の浮腫みを訴える患者をみましたが、萎びた太い長芋を感じさせる足でした。この患者たちに比べれば、わたしの症状は軽度のものです。退院時の診察で、医師はインシュリン投与ナシという所見を述べましたが、ホッとすると共に、すぐ隣り合わせにあの症状や医療行為が待っていることに戦慄を覚えました。
その面では、幾人もの反面教師があり、新しい生活習慣を身につける動機が与えられたという点で、わたし個人にとってはいい入院だったと思います。

入院中に読んだ、村上春樹の『1Q84』
ブログに書いた読書評

この2日間、少しばかり時間がありましたので、評判になっている村上春樹の『1Q84』1〜3巻を一気読みしました。
この作家はロマン小説の人だと思っていましたが、『1Q84』のロマンは飛び切りのものです。「大正ロマン」ということでいうと、「平成ロマン」というべき世界であって、われらの時代のヒストリカルロマンというべきものだと思いました。

小説の中にディケンズのことが2回出てきます。
ディケンズは、『二都物語』や『大いなる遺産』で知られる、イギリスのヴィクトリア朝を代表する作家です。ディケンズの描写は映画的で、この二つの代表作とも映画になっています。『大いなる遺産』はデビット・リーン監督で知られますが、最近、キュアロン監督によって撮られています。
この二人が監督を務めている一事をもって、ディケンズが、イギリスの国民作家であることを表しているわけですが、村上のキャラクター造形力(青豆にしても、天吾にしても、父親や牛河やリーダーにしても)は、そのディテールにおいて、ディケンズに比すべきものがあると思われました。
広告惹句風にいうと「世界に通用する日本の国民作家」ということでしょうか。よくいわれるこの評価を、ぼくは妥当だと思いました(牛河の造形は松本清張の人物描写を思わせるものがありますが、松本清張には青豆や天吾の造形はありません)。
映画的といえば、青豆を『華麗なる賭け』のフェイ・ダナウェイみたい、だと記述するところなどは、映像寄り掛かりの印象がなくはありません。フェイ・ダナウェイは、『俺たちに明日はない』『コンドル』『ルーという女』『小さな巨人』『チャイナタウン』『ネットワーク』など、みな見ています。
『1Q84』に即していうと、『コンドル』に出てくるフェイ・ダナウェイが、一番、青豆に近いかも知れません。その緊迫感において。
しかし、むかしの作家が何ページをも費やした描写が、「フェイ・ダナウェイみたい」と書くだけで通じるのですから、現代の作家は映像に感謝すべきなのかも知れません。ノーマン・メーラーの小説あたりから、こういう傾向が顕著になりました。
村上春樹の比喩の巧みさ、あるいは豊饒さ、速射砲のように出てくるそれは、舌を巻くほど達者です。わたしのような志賀直哉や中野重治の文章などを模範にして育った者には、その過剰さが眩しくもあり、別のいい方をすると、鼻についてなりません。
たとえばそれは、牛河が児童公園の公衆便所の裏側の植え込みに向かって「長い貨物列車が鉄橋を渡り切ることができるくらいの時間をかけてようやく小便を終える」というような箇所にみられます。この手の比喩は、星の数ほど全編に散りばめられています。
音楽と洋服の名前の羅列、それは「ヤナーチェックのシンフォニエッタ」に始まり、「マーラーの交響曲、ハイドンの室内楽、バッハの鍵盤音楽」「ジュンコシマダ」「ジバンシー」だの何だのに見られるものですが、これもまた過剰なまでに、全編に散りばめられ、繰り返し用いられます。なかには「長い貨物列車が鉄橋を渡り切ることができるくらい」に、あれもこれもと並べ立てた箇所もあります。
そうしたこと(もの)を好みとし、ライフスタイルにしている都市の女性には、これはもうたまらなく心地よいのでは、と思われたのでした。この本が、圧倒的な女性読者を獲得している理由の一つでもあると思われましたが、これを読むと、現代女性にとって、どういうことがカッコいいのか、よく分かります。
わたしに解せない形象としては、樺太帰りの朝鮮人であり、ゲイであり、元自衛隊のプロであるタマルでした。タマルがチェーホフやプルーストを口にすることにムリを感じました。この本の道具立てとして、チェーホフやプルーストを用いるのは分からないではありませんが、その役目をタマルに振ったという感じで、生硬さを感じました。汗が吹き出るように、自然に書かれていません。
小説世界として、「空気さなぎ」のことや、ふかえりの霊感力や、青豆の受胎などは、世界最大のベストセラー『聖書』の世界に比ぶれば驚くに値しませんが(しかし牛河の6人のリトルピープルのピースには、思わず「上手い!」と唸りました)、そしてまた樺太(サハリン)ということでチェーホフが結びつくところも、まあそれなりに分かるのですが、タマルがあそこまでチェーホフを語れるのか、という点にクエッションを覚えたのです。
わたしは高校一年の時に中央公論社の『チェーホフ全集』を入手し、それ以来、ずっとチェーホフに親しんできたものですから、あのチェーホフの扱いに、少々つらいものを感じたのでした。
プルーストの『失われた時を求めて』は、青豆があのシチュエーションにおいて、毎日のように読んでいるにかかわらず、その感慨なり、文学の感銘が何も書かれていません。単にヒマつぶしで読んでいる感じで、わたし的にはがっかりしました。この小説も、もう30年来の読者の一人なので。
要するに、いろいろ入れ込み過ぎて、消化が不十分です。
ヤマギシ会とオウムがモデルだといわれ、この世界はそれなりに書き込まれていますが、ストーリーというか、物語の道具立てになっていても、その思想的な掘り下げが形象になっておらず、竜頭蛇尾を感じました。
これらをヒストリカルするには、まだ、もう少し時間を要するのかも知れません。
とりあえず、そんなところが読後感です。

ブログ:小池一三の週一回 http://sosakujo.exblog.jp/

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