特集
青い海と日本人たちの夢 パラオ
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空から見たロックアイランドの象徴的風景、セブンティアイランズ。
ジャパニーズコロニアルの幻影
日本から南へ約三千。真っ青な海に浮かぶ大小五百余りの島々からなる島嶼国がパラオです。
第一次世界大戦後、ドイツ領であったミクロネシアは日本の委任統治領となりました。統治の中心地として、南洋庁本庁がおかれたのがパラオ、その本島ともいうべきコロール島でした。
ベンジョ、サルマタ、チチバンド。
「えっ」と聞き返してしまうような戦前の日本語が、現地の言葉として、パラオには生きています。たとえばインドシナをフレンチコロニアルと呼ぶのならば、ミクロネシアは、まさにジャパニーズコロニアル。ベトナムにフランスパンやコーヒーの文化が根づいているように、パラオには、遠き日本の幻影があるのです。
第二次世界大戦後、日本に代わってアメリカの信託統治領となったパラオ。しかし、戦後、青い海の美しさを発見し、観光開発を手がけたのもまた、パラオに魅せられた日本人でした。
マングローブの海へ

パラオ・プランテーション・リゾートの朝。
夜のフライトで到着して、南の島で迎える最初の朝、体が熱帯の空気に水を含んだようになじんでいく、その瞬間が私は好きです。
窓の外、金色の太陽が、南国特有の鋭さをもってジャングルの緑を照らし出していました。
いかにも手造り風のリゾートは、パラオの自然と文化に魅せられた石毛佐三郎さんの夢の実現ともいえるのかもしれません。
石毛さんがパラオにやって来たのは一九八四年のこと。知られざる海の魅力が、ダイバー向けの雑誌で紹介され始めた頃のことでした。いまも美しい南の島ですが、当時のパラオは、手つかずの自然が息づく、まさに楽園。二〇〇四年にパラオ・プランテーション・リゾートを開業したのは、その頃のパラオを再現したい思いがあったからだと石毛さんは語ります。

マングローブの海をボートで行く。

絶品、シャコ貝の刺身。
ジャングルの先にはマングローブの海が続きます。
リゾートの桟橋から出発して、豊穣の海に遊ぶボートツアーは、パラオ・プランテーション・リゾートならではのアクティビティ。自分で漕ぐカヤックを選ぶことも出来ます。ツアーの途中、とれたてのシャコ貝をお刺身にしてもらいました。目の前でさばいてもらった新鮮な味は忘れられません。
ロックアイランドの不思議スポット

ミルキーウェイにて。泥パックをする日本人ハネムーナー。
コロール島の南に続く無数の島々をロックアイランドと呼びます。青い海に点在するモコモコとした緑の島は、パラオを象徴する絶景。空からの遊覧飛行も素晴らしいですが、やはり定番は、個性豊かな島々をボートで巡るツアーでしょう。
人気のスポットがふたつあります。ミルキーウェイとジェリーフィッシュ・レイク。いずれもパラオならではの自然の不思議です。
ミルキーウェイとは、その名のとおり、乳白色が溶け込んだような水の色が特徴。色の正体は、海底に沈殿した石灰質の泥です。保湿効果があるそうで、化粧品としても開発されています。海底の泥をバケツに汲んで、顔や体に塗ってパック。最後は、海にドボンと飛び込んで洗い流します。
もうひとつがジェリーフィッシュ・レイク、すなわちクラゲの湖です。『ナショナルジオグラフィック』誌で紹介されて有名になりました。海水と淡水が混じった湖にふわふわと群れ泳ぐ無数のクラゲ。弱毒性なので、一緒に泳ぐことが出来ます。マスクをつけて見る水中は、この世のものとは思えない、神秘の世界でした。

ジェリーフィッシュ・レイクの神秘的な水中。
美しきパラオの水中世界
パラオの美しさの半分以上は、水の中にあるといっても過言ではありません。シュノーケリングでもその一端を覗くことは出来ますが、パラオほどダイバーでよかったと思う場所は、地球上にないでしょう。
特に有名なのはブルーコーナーというポイントです。ダイビングでは、浅瀬から断崖がストンと落ち込む場所をドロップオフと呼びます。ドロップオフには潮の流れがあり、それにのって魚がやってくるのです。外洋に向けてドロップオフがV字に張り出し、潮流がぶつかるブルーコーナーは、つまり最高のドロップオフなのです。
吸い込まれそうな藍色に、魚がキラキラと星のように輝くさまは、宇宙空間にいるようでした。ダイビングでは、中性浮力といって、宇宙遊泳をするようにふわふわと浮力を調節して泳ぎます。だから、本当に宇宙にいるような感覚になるのです。
巨大なサメが、ナポレオンフィッシュが、悠然と目の前を横切っていきます。次々と繰り広げられるダイナミックなシーンに、ダイバーは息つく間もありません。

ブルーコーナーのドロップオフを悠然と泳ぐサメ
パラオに魅せられた男

パラオの伝説的人物、岸川至さん。
このブルーコーナーを発見し、パラオのダイビングの魅力を世界に紹介したのが、岸川至さんです。
昭和十年、日本統治下のパラオ生まれ。戦後、帰国を余儀なくされたのですが、南洋生まれの少年は、ずっとパラオに帰ることを夢見ていたといいます。
昭和三〇年代、岸川さんは、日本に紹介されたばかりのスキューバダイビングに魅せられました。それが後に、パラオで彼の一生の仕事になるとは知らずに、やんちゃな青年は、ただかっこよくて面白い海の遊びとして夢中になったのでした。
二十五歳のとき、たまたま水道工事の仕事で、ライシャワー駐日大使の家を訪れたのがきっかけで、農業移民としてパラオに渡るチャンスを得ます。ところが渡航してまもなく、パラオの軍政が終わり、取得したビザが無効に。困った岸川さんは、奔走した挙句、パラオ生まれであれば、パラオ国籍が取れることを知り、パラオ人になったのでした。
ダイビングの創始者が絶賛した海

パラオはマンタとの遭遇率も高い。希少なブラックマンタに出会った。

ヨスジフエダイの乱舞。文句なしに美しい水中世界。
やがて岸川さんは、あるホテルのマネージャーになります。そこにやって来たのがスキューバダイビングの創始者、ジャック・イブ・クストーでした。
言われるままにタンクを手配して海へ。クストーから言われた言葉が彼の心に残りました。
「パラオの海を大事にしなさい。ここには西太平洋の魚が全部いるよ」
そして、手探りのなか、岸川さんは、ダイビングの仕事を始めたのでした。
貝を採るパラオ人が海にものを落としたのがきっかけで、ブルーコーナーに隣接する、やはり有名スポットのブルーホールを発見。さらに、アメリカ人ダイバーをガイドしてブルーホールを潜っていたとき、冒険心で逆の方向に泳いで発見したのがブルーコーナーでした。
日本人たちの夢は続く

カープアイランド・リゾートの桟橋にて。

パラオ・パシフィック・リゾートの夕景。
ロックアイランドの南端、太平洋戦争の激戦地であったぺリリュー島の北に、星のかたちをした島があります。ブルーコーナーに15分程でアクセスできるこの島に、岸川さんが、カープアイランドリゾートを開業したのが一九七九年のことでした。
同じ頃、パラオにリゾートの夢を重ねたもう一人の日本人がいました。東急リゾートの総帥、五島昇。パラオと彼を取り持った縁は、ダイビングではなく、なんと、ワニ狩りだったといいますが、豊穣の海に魅せられたのは同じことでした。
そして、五島の夢は、一九八四年十二月、パラオ・パシフィック・リゾートの開業として結実します。
いくつもの日本人たちの夢を重ねて、パラオのいまがあるのです。
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。旅とホテルをテーマにノンフィクション、小説、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。
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2010/7/14(水)09:06
[...] This post was mentioned on Twitter by 高杉仁之. 高杉仁之 said: RT @bio_sumainews: 夏・南の島。旅行作家・山口由美さんからパラオの記事をご寄稿頂きました。 http://bit.ly/aOU8L3 [...]