特集
福岡・博多町家 「びお」お披露目会
基本設計/趙海光 外構設計/田瀬理夫 実施設計・施工/長崎材木店 物件写真/市川かおり
2010年05月31日 月曜日
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建物が完成していないにもかかわらず、そのコンセプトで2009年グッドデザイン賞を獲得した博多町家がついに竣工です。
グッドデザイン賞受賞時のコンセプト模型
現代町家塾も開かれました
ベースとゲヤのプランニングで意識的に空地をつくり、そこには在来種の一坪里山をつくろうーそんな現代町家のコンセプトをしっかり盛り込んだのが、博多町家です。建物の基本設計は趙海光さん。博多町家は、2008年の趙さんの勉強会に長崎材木店・長崎社長が出席したところからのスタートでした。福岡の在来植生で構成された外構は、プランタゴ・田瀬理夫さんの設計によるものです。
2009年のグッドデザイン賞については、こちらから詳細が見られます。
グッドデザインファインダー「博多・現代町家」
http://www.g-mark.org/award/detail.html?id=35402
長崎材木店「論」
文/小池一三
長崎材木店の個性ということを考えるとき、五代目長﨑秀人さんの独創性について、触れないわけには行かない。
「SURFER’S HOUSE M」モデルを目にしたわたしは、「もし五代目がハウスメーカーの企画部長なら、すぐに首が飛ぶでしょうね」と言ってしまった。それはあまりに独創的で、ハウスメーカーには理解不能と思われたからだった。
ハウスメーカーは、誰にもいい「最大公約数」の家をつくろうとする。たとえばカーテンボックスは、上に埃が積もるとクレームの対象になるので除去してしまう。お掃除しない人の苦情を前提にして、それを防禦しようとするのである。総じてそんなふうで、このためハウスメーカーのモデルハウスは、外観こそ競い合っているものの、住宅の内部はほとんど似ている。違うことをやって売れなくなったら、担当者は責任が問われるからである。そこに行くと五代目は自由奔放である。いざモデル計画に掛かると、自分が一番納得できるものをつくろうとする。それは徹底的なものである。けれど冷静な判断も働いていて、それはコストパフォーマンスの視点から、しっかり裏打ちをしていることである。
長崎材木店で建てたいお客が引きも切らず、いうところの「行列ができる工務店」として、住宅業界ではつとに知られる理由はここにある。
長崎材木店を支持するユーザーは、この工務店なら、きっと自分の思いを叶えてくれると考えて選ぶのだろう。モデルに若い見学者がいたので聞いてみたら、「ローコストの家が嫌で、お金がないならないなりに清々しい住まいをつくりたいので見に来た」と言った。
「ローコスト」を標榜するハウスメーカーの造りは、装飾を凝らした階段の手摺であったり、擬似大理石の玄関ホールであったり、紛いものが少なくない。「貧」を隠そうとして、かえって「貧」に陥っている。大手のハウスメーカーの家も、最近では「エコ」を強調しているが、その時々のトレンドを追い続けるのが慣わしで、商品化住宅は、車がそうであるように、結局は、陳腐化を余儀なくされる。彼らはバブル時、全館冷暖房を謳歌していたのだから…。
建築家の玉井一臣は、『小屋の力とその持つ意味』において、こう書いている。
「都市が拡大を続ける時代に住むわれわれには、現実世界の全体を鳥瞰してつかむことがますます難しくなってゆく。それは自己の位置を確認することができなくなってゆくことでもある。そのぶんぼくたちは、独立した制御可能な小世界というものに惹かれるのだ」
玉井がここにいう「制御可能」性は、人が思いを詰め、人の手に掛けたものをいう。長崎材木店は、十分すぎるほど思いを巡らせ、こだわりを持ち続け、職人衆のチカラを結集してそれをカタチにしている。そんな仕事を、みんな見に来るのである。長崎材木店がつよいのは「これだな!」と思った。
眩いばかりのシャンデリアが、裸電球一つにかなわないことがある。欲しいのは器具ではなくて、明かりそのものである。本質を見極めようとする目が、何より重要なのである。
「SURFER’S HOUSE M」モデルを目にしたわたしは、「もし五代目がハウスメーカーの企画部長なら、すぐに首が飛ぶでしょうね」と言ってしまった。それはあまりに独創的で、ハウスメーカーには理解不能と思われたからだった。
ハウスメーカーは、誰にもいい「最大公約数」の家をつくろうとする。たとえばカーテンボックスは、上に埃が積もるとクレームの対象になるので除去してしまう。お掃除しない人の苦情を前提にして、それを防禦しようとするのである。総じてそんなふうで、このためハウスメーカーのモデルハウスは、外観こそ競い合っているものの、住宅の内部はほとんど似ている。違うことをやって売れなくなったら、担当者は責任が問われるからである。そこに行くと五代目は自由奔放である。いざモデル計画に掛かると、自分が一番納得できるものをつくろうとする。それは徹底的なものである。けれど冷静な判断も働いていて、それはコストパフォーマンスの視点から、しっかり裏打ちをしていることである。
長崎材木店で建てたいお客が引きも切らず、いうところの「行列ができる工務店」として、住宅業界ではつとに知られる理由はここにある。
長崎材木店を支持するユーザーは、この工務店なら、きっと自分の思いを叶えてくれると考えて選ぶのだろう。モデルに若い見学者がいたので聞いてみたら、「ローコストの家が嫌で、お金がないならないなりに清々しい住まいをつくりたいので見に来た」と言った。
「ローコスト」を標榜するハウスメーカーの造りは、装飾を凝らした階段の手摺であったり、擬似大理石の玄関ホールであったり、紛いものが少なくない。「貧」を隠そうとして、かえって「貧」に陥っている。大手のハウスメーカーの家も、最近では「エコ」を強調しているが、その時々のトレンドを追い続けるのが慣わしで、商品化住宅は、車がそうであるように、結局は、陳腐化を余儀なくされる。彼らはバブル時、全館冷暖房を謳歌していたのだから…。
建築家の玉井一臣は、『小屋の力とその持つ意味』において、こう書いている。
「都市が拡大を続ける時代に住むわれわれには、現実世界の全体を鳥瞰してつかむことがますます難しくなってゆく。それは自己の位置を確認することができなくなってゆくことでもある。そのぶんぼくたちは、独立した制御可能な小世界というものに惹かれるのだ」
玉井がここにいう「制御可能」性は、人が思いを詰め、人の手に掛けたものをいう。長崎材木店は、十分すぎるほど思いを巡らせ、こだわりを持ち続け、職人衆のチカラを結集してそれをカタチにしている。そんな仕事を、みんな見に来るのである。長崎材木店がつよいのは「これだな!」と思った。
眩いばかりのシャンデリアが、裸電球一つにかなわないことがある。欲しいのは器具ではなくて、明かりそのものである。本質を見極めようとする目が、何より重要なのである。
博多町家ギャラリー
(以下写真/市川かおり)

ベースを二つつなげた外観
外観
外観(夜)

玄関側からみた外観
デッキと一坪里山
リビングからデッキを望む

デッキ
玄関
たたみの小部屋

2階から見下ろしたリビング

廊下・左手に隠れ部屋
一坪里山が見える廊下
隠れ部屋

2階ホール






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