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パプアニューギニア、ふたたび 海と空に魅せられた人たち

旅行作家 山口由美
2010年02月14日 日曜日
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ダイビングの聖地として

ワリンディの海:ジョイス・リーフ近くのナンシー・リーフにて。

ワリンディの海:ジョイス・リーフ近くのナンシー・リーフにて。撮影:Michele Westmorland

私もそうなのですが、パプアニューギニアと関わりをもつ人の多くが、最初の出会いは、ダイビングだったと言います。赤道直下、手つかずの自然に恵まれたパプアニューギニア、実は、世界有数のダイビングサイトとして知られているのです。
 そうして、パプアニューギニアと巡り合ったダイバーのひとりがレニ・リーフェンシュタールでした。
 1902年ドイツに生まれ。ダンサー、女優として活躍した後、映画監督となり、彼女の才能に惚れ込んだヒットラーの依頼により、ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』を製作します。
 戦後は、ナチスとの関係により、彼女自身も長く世間の批判にさらされましたが、1972年、アフリカ・スーダンのヌバ族の肉体美を賛美した写真集『ヌバ』によりセンセーショナルな再デビューを果たします。

レニ・リーフェンシュタール、海に潜る

 その頃、撮影の帰途、たまたま立ち寄ったケニアで、彼女は、水中世界の美しさに目覚めます。ダイビングのライセンスをとったのは、なんと71歳のとき。いまでこそ、70代のシニアダイバーが珍しくなくなりましたが、当時、彼女は、20歳も年齢をサバよんで、講習を受けたといいます。
 レニは、その後、30年近くも現役ダイバーとして潜り続け、2002年、100歳のとき、映画『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を発表します。
 親しくしていたフランス人写真家の紹介で、ニューアイルランド島(ラバウルのある島です)、キンベ湾に面したダイビングリゾート、ワリンディ・プランテーション・リゾートにレニがやってきたのは、1996年と98年のことでした。

40歳年下のパートナーと

レニがサインしたダイビングの同意書

レニがサインしたダイビングの同意書

 リゾートには、日付と生年月日、自筆のサインが記されたダイビングの同意書が残されていました。彼女が確かに九十六歳のダイバーであったことを証明するものです。力強いサインの筆致は、彼女が、変わらぬ若さを持ち続けていたことを伝えています。
 レニには、ホルスト・ケトナーというパートナーがいました。出会った66歳のとき、26歳だった、40歳年下の男性です。
物静かでたくましい青年は、やがてレニの分身となり、水中撮影では、ディレクターとして指示をするレニのもと、大型のムービーカメラを廻していたといいます。
 ダイニングルームやバーのあるメインの建物に近い、9番のバンガローは、二人のお気に入りの部屋でした。作品や人生からは、男まさりの強靭さを感じさせるレニですが、実際の彼女は、夕食になると、赤いルージュを引いてダイニングルームにあらわれる、とても女性的な人だったといいます。
 ワリンディのオーナー夫人であるセシリーが、レニの声色を真似てくれました。甲高いトーンの、女優らしくちょっと芝居がかった物言いで、話しながら自分の手で相手の腕にやさしく触れたという彼女。その昔、ヒットラーとも、そうして会話をしたのでしょうか。

レニが愛した「原色の海」へ

ワリンディの海:スーザン・リーフにて。

ワリンディの海:スーザン・リーフにて。

 今回は、あいにくの天候でしたが、レニの愛した海に潜らない手はありません。セシリーの記憶では、レニが好きだったのは、ジョイス・リーフというポイントだそうですが、ダイビングガイドとしてワリンディで働く恵子さんによれば、コンディションのいい日でないと、ジョイス・リーフの美しさは堪能できないとのこと。近くにあるスーザン・リーフに潜りました。
 水面は大荒れで、ときどき叩きつけるような雨も降る状況でしたが、水中には、別世界が広がっていました。
 群青色の海を背景に、サンゴ礁とソフトコーラルと色鮮やかな生物たちがおりなす、平和で穏やかで、そして、レニ自身のように華やかな原色の海です。
 『オリンピア』で一世を風靡し、『ヌバ』で鮮やかに復活したレニ。彼女が追い求めたのは、肉体の美しさという純粋なテーマでしたが、ナチスドイツのプロパガンダといわれた『オリンピア』はもとより、内戦の火種を抱えていたスーダンの『ヌバ』も、いつも背景に政治や戦争がありました。人生の最後に彼女は、そうした呪縛の一切ない水中に希望を求めたのかもしれません。
 風で激しく波打つ水面を見上げながら、数メートル潜行するだけで世界が一変する海の不思議を、私は、改めて感じたのでした。

ハイランドへ

民族衣装の草のスカートを着て、畑で働くフリ族の女性。

民族衣装の草のスカートを着て、畑で働くフリ族の女性。

儀式用のかつらを被り、化粧をして正装したフリ・ウィッグマン。

儀式用のかつらを被り、化粧をして正装したフリ・ウィッグマン。

 パプアニューギニアの魅力は、最高の海に囲まれた島の中央には、雲に包まれた高地があり、海とはまた異なる別世界があることです。
 比較的早くに開発された沿岸地域は、それゆえに太平洋戦争の戦場にもなりました。激戦地として知られるパプアニューギニアですが、同じ頃、戦争を知ることもなく、石器時代の暮らしが続いていた地域が、中央高地にあったことは、あまり知られていません。
 ファーストコンタクトが1952〜53年というタリは、まさにそうした土地でした。宇宙人との遭遇を思わせる「ファーストコンタクト」という言い方は、近代文明、あるいは白人との初めての接触を言います。
 タリでは、石器時代から目覚めて、まだ50年余りしかたっていないのです。地毛で作ったかつらを鳥の羽やヘアバンドで飾り立てる、フリ・ウィッグマンと呼ばれる独特の男の装束、草のスカートをはく女の装束。そうした伝統衣装が、いまなお生活の中に生きている数少ない地域でもあります。

雲上のロッジを建てたパイロット

アンブアロッジにて。朝、雲が降りてきたるタリ盆地を望む。

アンブアロッジにて。朝、雲が降りてきたるタリ盆地を望む。

雲上のロッジを建てたパイロット
愛機の前で。社長のボブと、空港の荷物運び担当のフリ族の男。ちなみに上半身はフリースを着ているが、下半身は葉っぱです。
愛機の前で。社長のボブと、空港の荷物運び担当のフリ族の男。ちなみに上半身はフリースを着ているが、下半身は葉っぱです。

 タリでは、アンブアロッジという眺めのいい宿に泊まりました。標高2100m。ここが雲上の高地であることは、空を流れる雲の低さが教えてくれます。
 ロッジのオーナーは、トランス・ニューギニ・ツアーズという旅行会社を経営する、ボブ・ベイツというオーストラリア人です。観光業に乗り出す前は、土木エンジニアであり、パイロットでもありました。1963年といいますから、彼が若かりし頃、初めてパイロットとしてやってきて、惚れ込んだ土地がタリでした。
 鬱蒼とした熱帯雨林と急峻な山にさえぎられるニューギニア島の内陸部。鉄道はなく、道路も限られています。ファーストコンタクトの時代から、奥地に入る唯一の交通手段が飛行機でした。こうした未開の地を腕一本で飛ぶ小型機のパイロットを、ブッシュパイロットと呼びます。ボブは、エンジニアとして自ら滑走路も整備する、誇り高きブッシュパイロットだったのです。
 いまも現役パイロットのボブは、ときに自ら操縦桿を握り、ロッジにお客さんを運びます。
 アフリカやアラスカ、さまざまな土地で、ブッシュパイロットが操縦する飛行機に乗ってきた私ですが、ボブの操縦は、ぴかいちに上手です。

首都ポートモレスビーのリゾート

首都ポートモレスビーの沖に浮かぶロロアタ・アイランド・リゾート。

首都ポートモレスビーの沖に浮かぶロロアタ・アイランド・リゾート。

 旅の最後の夜は、首都ポートモレスビーの空港から車とボートでわずか30分の別天地、ロロアタ・アイランド・リゾートで過ごしました。
 タリでも、石油と天然ガスのプロジェクトが始まるそうですが、近年、パプアニューギニアでは、鉱山ビジネスが盛況で、資源バブルの様相を呈しています。もっとも、その利益は、外国資本と一部の政治家の懐に入るだけといいますが。
 影響として困るのは、首都のホテル代が高騰していること。そのなかで、適正な料金で泊まれる数少ない快適な宿が、ロロアタなのです。
 島はダイビングも有名で、首都の近くとは思えない、のんびりした雰囲気が魅力。週末の金曜日には、夕食時に恒例のシンシンも楽しめます。

ロロアタの子供シンシンにて。

ロロアタの子供シンシンにて。

 Singsingと書いてシンシン。パプアニューギニアでは、歌と踊りを総称してこう呼びます。ロロアタのは、ポートモレスビー周辺の部族であるモツ族の、子供たちのダンシングチームです。
 現在、首都のポートモレスビーには、週一便、成田からの直行便が就航していますが、三月末からは週二便に増える予定。そうなれば、ロロアタ・アイランドは、日本からも身近なリゾートになります。

ニューギニア航空
http://www2.air-niugini.co.jp/
ワリンディ・プランテーション・リゾート
http://www.walindi.com/
アンブアロッジ
http://www.pngtours.com/lodge1.html
ロロアタ・アイランド・リゾート
http://www.loloata.com/AboutLoloata.html

山口由美

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。旅とホテルをテーマにノンフィクション、小説、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。

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