興味津々
2010年を緑の時代へ
- 小
- 中
- 大
今年は、2000年に開始された「近くの山の木で家をつくる運動」から10年目を数えます。国産材の自給率は24%に留まっており、依然として低調です。この10年の取り組みは何だったのか、何が問題だったのか、立ち止まって考えるべき時期に来ております。
今年は、国家戦略室が「林業再生本部」を発足させ、国交省と林野庁を中心とする「”家づくり”から林業再生を考える委員会」(仮称)がスタートします。これらの取り組みが実りを得るには、現場の実践が何より大切です。
昨年12月に九州の山に入りました。枝打ちも、間伐もされていない山は鬱蒼として暗く、一方、皆伐(かいばつ)と、切り捨て間伐の山が目立ちました。林道は、台風が来るというとズタズタに裂かれてしまうような造りで、道さえ通せば政府から補助金が出されたことを伺わせました。形を変えた「公共工事」です。それはそれで、地域を潤したことでしょうが、台風などで壊れてしまった林道に補助金は出ないので、あとは「野となれ山となれ」ということでしょうか。
暗い気持ちでいましたら、そんな山ばかりではありませんでした。道造りの名人・大橋慶三郎さんの教えを受けられた大分県臼杵市の林業家後藤國利さんの森は、林内に太陽の光が差し込んでいて、まるで奈良吉野の山のように明るい森でした。九州でこのように整備の生き届いた森を見るのは初めてで、感銘を覚えました。町の工務店ネットのメンバーである、大分の日本ハウジングがこの後藤さんの山の木を用いて、今年から家を建てます。ひんぱんに山と往き来し、両者の関係が深まることを期待します。
島根県の藤原木材さんが、島根県は太い木が育っていないので、柱と柱を重ねて使う“合わせ梁”の研究を進めたいと提案されました。全国どこでも梁材は流通しています。しかし、そこの土地に育っているかといえば、戦後植林の材はまだきびしいといわれます。梁材を欠いているというと、その山の名折れなので他から運んできて間に合わせます。この点、藤原さんは正直で、現実を直視することで、ほんとうの“長伐期”の山を育てようとされているのです。
戦後植林で育った木を、今、皆伐してしまうと元の黙阿弥です。奈良吉野の山は1万本植樹して250年掛けて100本まで持って行きます。吉野の山に取って間伐とは林業そのものです。長伐期の木を残しながら、間伐する木をお金に換えて糧を得ているのです。梁にする木が育っていなかったら、柱を二本重ねて梁にすればいいのです。100年先、200年先の将来を考えて、今を生きるのが林業です。その間をどう凌ぐのか、藤原さんの提案は、そこに掛かっています。凄い提案だと思います。
今年1月22日〜24日までの3日間、長崎県対馬で「森里海連環塾in対馬」を開催しますが、昨秋、竹内典之(京都大学名誉教授 人工林の第一人者)と対馬の山を見て歩いた印象は、かつての「対州檜」はどこにある、という感じでした。ほとんど失われていて、戦後植林も10年ほど遅れて出発したので、それがまだ十分に育ち切れていないと思いました。対馬で考えるべきは、島根方式の採用です。今、育ったものをお金になるからと皆伐してしまうと、対馬には何も残りません。
この10年というもの、町は町が欲する材を山に要求し、山は、それがすぐにお金になるからということで、してはならないことをやって来ました。大切なことは、臼杵の後藤さんがやっておられる「100の森」のような長伐期の山を、地域協同のチカラで育てる意思を持つことです。そのために、何をどう進めるか、その内実を得ることが、真に「緑の時代」をつくるのだと思います。2010年を、その新たな出発の年にしたいと、こころから念じています。







コメントはこちらから!