花々舎の草花
冬至・乃東生(なつかれくさしょうず) クリスマスのアレンジメント
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やっとクリスマスの準備ができました。
子供たちが巣立ったわが家ではケーキもチキンもワインもないクリスマスですが、唯一クリスマスのアレンジメントが玄関に飾られています。
年中行事によせてのアレンジメントはいくつかあるのですが、クリスマスやお正月のアレンジメントは特別な感じです。
教室にみえる方々が楽しみにして下さっているのがわかるので、頭と手をフル回転しながらあれこれと考えます。
12/7に使ったサンゴ水木が今年のクリスマスアレンジメントに変身しています。
切り口にポスターカラーのピンクをのせて今年のクリスマスカラーらしくしました。
銅線で星形のオーナメントを作り、その中にサルトリイバラの実を、ひとつ、ふたつ閉じ込めてしまいました。
さて、クリスマスらしくなったでしょうか?

最初にこの詩の全体を紹介します。
絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。
若葉よ。来年になったら海へゆかう。海はおもちゃでいっぱいだ。
うつくしくてこはれやすい、ガラスでできたその海は
きらきらとして、搖られながら、風琴のやうにうたってゐる。海からあがってきたきれいな貝たちが、若葉をとりまくと、
若葉も、貝になってあそぶ。
若葉よ。来年になったら海へゆかう。そして、ぢいちゃんもいっしょに貝にならう。
(『若葉のうた』より「若葉よ来年は海へゆかう」)
この詩を読んだとき、あの金子光晴が、と衝撃を受けました。
というのは、光晴というと、そのときまで晦渋と暗喩に満ちた反戦詩の光晴という存在でしたから。
たとえばそれは、『鮫』という詩の一部を紹介するだけで了然としています。
コークスのおこり火のうへに、
シンガポールが載つかつてゐる。
ひゞ入つたゐ焼石、蹴爪の椰子。ヒンヅー・キリン族。馬来人。南洋産支那人。それら、人間のからだの焦げる凄愴な臭ひ。
合歓木の花と青空。
荷船。
檳榔の血を吐く――赤い眩迷。鮫は、リゾール水のなかで、鼻っぱしらが爛れかけてゐる。
奴らの眼は紅く、ぽっと腫れあがってゐる。
シンガポールの沿海にいる鮫は、オランダやイギリスなどによる軍艦を暗喩しています。それは日本の姿でもありました。「コークスのおこり火のうえに」というのは、シンガポールで戦争が始まろうとしている、ということです。そのため、たくさんの人種が食い物にされ、その狭い島の上で焼かれている、というのです。何という凄惨な詩でしょうか。
次に、光晴を光晴ならしめた戦前の代表的な抵抗詩の一部を紹介します。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってるおっとせい」
ここにいう「オットセイ」とは、「だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴」であり、それは当時の体制に流される「衆愚」な国民を暗喩しています。光晴は、この「オットセイ」を、吐く息がクサイだの、気持ち悪いヤツらだと散々けなします。しかし、気がついたら俺も同じ「オットセイ」の一人だと気づきます。けれども自分は、横を向いている、へそ曲がり「オットセイ」だといいます。
光晴の晦渋、暗喩、寓意は、当時の官憲の目をくらますためのものでした。そういうものとして読むと、『若葉のうた』は、放埒な詩人の根にあるところの、真のやさしさが溢れていて、光晴はそういう人だったのだと思えてきます。
冬至「乃東生・なつかれくさしょうず」
http://www.bionet.jp/2008/112/bio72_64/



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