花々舎の草花

立冬・地始凍(ちはじめてこおる) 山ぶどう

2009年11月12日 木曜日
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山ぶどう01

山ぶどう02

朝、玄関のドアを開けたら山ぶどうの束が目に飛び込んできました。
すぐに左官のMさんが届けて下さったものと気づきました。

一昨年の今頃でしょうか。
お花の教室に現れたMさんは、青から赤紫のグラデーションが美しい野ぶどうを手にしておいででした。
早速、その日の花材に野ぶどうをプラスしたら、なんとも言えない風情のある作品になったことを覚えていらしたのでしょう。

そして今朝は山ぶどうです。
この山ぶどうの魅力をどういう形で伝えたら良いかしらと考えていたら、四方を雪で囲まれた山里でご馳走になった山ぶどうジュースのしっかりとした深い味わいが蘇ってきました。


旬の句

山ぶどう03

この短い詩のタイトルは「静」です。青と、争うを寄せると「静」になります。青は「すみきった」という意を含みます。それが争い合って「静」という文字が構成される妙を、吉野弘は詩に詠むのですが、それは詩人のレトリックというべきであって、「青」は「制」でもあり、争いを止め、しんとすみわたった雑音のない状態が、ほんとうの「静」です。
何故、こんな言葉遊びをしたのかというと、それは吉野弘が詩人の感覚を、いつも磨いている人だからです。
吉野弘に『浄』と『生命は』という詩があります。

『浄』
流れる水は
いつも自分と争っている。
それが浄化のダイナミックス。
溜り水の透明は
沈殿物の上澄み、紛いの清浄。
河をせきとめたダム。
その水は澄んで死ぬ。
ダムの安逸から放たれてくる水は
土地を肥やす力がないと
農に携かわる人々が嘆くそうだ。

『生命は』 
生命は
自分自身で完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

この二つと表題の詩を読み比べると、この詩人の世界が何か分ったような気がしませんか。
吉野弘の詩には、人生の観照があり、深い悲しみがあります。

— 詩集『北入曾』


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