特集

対馬の原生林に、日本列島の原郷を見た。

2009年10月13日 火曜日

長崎県対馬訪問記その三

龍良山(たてらさん)の原生林

龍良山(たてらさん)の原生林

二回目の対馬

対馬を訪問するのは、今年の春に続いて2回目となります。

前回は、長崎空港から、プロペラのボンバルディア機に乗って対馬に入りましたが、今回は、福岡空港からジェット機に乗って入りました。
ジェット機が着陸できる離島は他にないのでは、と同行した作家の天野礼子さんに言ったら、彼女は「北への備えよ」といいました。政治勘というか、現象を喝破するチカラに長けている彼女ならではの見方だと思いました。

その天野さんも、空から見る対馬浅茅(あそう)湾あたりの風景に圧倒されたようで、「イギリスの湖水地方みたいね」と言いました。「乙女チックですね」と、ぼくは冷やかしました。そういうときの天野さんは、意外と照れるのですね。

湖水地方をフィールドとする作家は何人かいます。有名なのはビアトリクス・ポターの『ピーター・ラビット』や、ワーズワースの詩ですが、ぼくにとっては、『ツバメ号とアマゾン号』(訳/岩田 欣三・神宮 輝夫/岩波書店)のアーサー・ランサムです。中学生のときに、よく読みました。ウィンダミア湖を舞台にして繰り広げられるカントリー生活、休暇の意味や、舟遊びのたのしさを、このシリーズ本から知ったのでした。湖水地方にはヤマネコ島があり、鵜の島があります。対馬は、ツシマヤマネコの島です。

この日は、あまり天気がよくありませんでしたが、雲間から、山、谷、入り江が織りなしているそれは、まるで墨絵のようでした。このような風景は、日本ではここだけなのでは、と天野さんは息を詰めていいます。

美しい海岸線と山を持つ風景は、三陸や若狭がそうであるように、地上では苦労を強いられる土地が少なくありません。民俗学者・宮本常一が『壱岐・対馬紀行』(「私の日本地図」15巻)の中でルポルタージュした対馬は、地上での険しい貌(かお)を書いていて、空から眺めるそれを覆します。

むろん天野さんは、そのことをよく分かっていて、この島の難儀を思い、そうして、この土地と結縁するかも知れない予感を胸に秘めてやってきたのでした。

宮本常一は、中央部の浅茅湾を境にして「湾から北を上県(かみあがた)郡、南を下県(しもあがた)郡といっている。浅茅湾は島全体が沈降してできたもので、日本では一番大きな溺れ谷」だといいます。また「島内に入ってみるとほとんど平地がなく、二、三百メートルくらいの尾根がつづき、また支脈を出し、山と谷で埋まった島といってよい。そのうえ地質は第三紀の頁岩(けつがん)や粘板岩(ねんばんがん)が多く、頁岩には無数のヒビ割れがあって水持ちがきわめてわるく、谷底以外に田をひらくことができない」島だといいます。

今回の訪問では、対馬を二分する上県と下県のほとんどを車で走破しましたが、平坦な道はほとんどなく、今に至る道路敷設の大変さが思いやられました。宮本常一が訪ねた敗戦直後の対馬は、主要道は敷設されたものの、歩いて行くか、船を利用するほかなく、本を読むと、その行動には驚くべきものがあります。

土地と結縁するといえば、今回同行いただいた竹内典之さん(京都大学名誉教授で、人工林の第一人者)は、大学に入ってからその大半を演習林で過ごされ、土地に分け入って学問を続けられた、稀な学者です。竹内さんは、天野さんの話を聞きながら、うんうんと頷かれていました。

この訪問には、町の工務店ネットのメンバーである、長崎の輝星建設の平山耐さんも同行され、対馬森林組合のみなさんのご案内により、島内のあちらこちらを2泊3日の日程で回りました。

今回の訪問は、来年、開催を予定している対馬でのシンポジウムの打ち合わせを兼ねてのもので、対馬の山を見なければ、実のあるシンポジウムにならないという天野さんの強いリクエストによる訪問でした。この訪問で、竹内さんと天野さんの目の確かさということを、改めて感じることができました。

お二人の検分に基づいての森林組合の方々との議論は、深く具体に及び、1日目は夕方の5時半から7時まで、2日目は5時半から7時まで、森林組合の会議室で開かれました。対馬森林組合の扇 次男組合長は、全職員を集合され、中身の濃い検討会になりました。対馬森林組合の職員は、若い人が多く、そのことが竹内さんや天野さんにとって、ことのほか嬉しかったようです。

2日目のスケジュールは、午前中に財部能成対馬市長との面談(予定をキャンセルされて1時間半の話し合いになりました)がありました。また、夕方には、対馬森林協議会の方々との話し合いが持たれ、夜は遅くまで対馬の料理とお酒のおもてなしを受け、そこでも議論は尽きませんでした。竹内さんとわたしは下戸ですが、まるで酔っぱらいのように、あれこれ喋ったのでした。島から離れる時には、1月に開催するシンポジウムの内容、くわしいスケジュールまで決まりました。あとでお知らせします。

前回の訪問のとき、龍良山を遠望し、そこに太古以来の照葉樹林の原生林が広がっていることをお聞きました。そのとき以来、いつかあの森に分け入りたいという思いが熱病のように募り、意外にも早くそれが実現したのでした。興奮しない筈がありません。

鮎戻し

瀬川の鮎戻し

瀬川の鮎戻し

龍良山に入る前に、瀬川の鮎戻しに行きました。

早速、天野さんは対馬の案内パンフレットで、この地名を探し出していました。鮎戻しは、鮎の遡行が止まる場所をいいます。その場所は滝であったりして、かならず景観のいい場所と決まっています。しかし、瀬川の鮎戻しは、妙に観光ナイズされていて、それは天野さん的には好ましいものではありませんでした。

けれども、浸食によって花崗岩の河床が連続的に露出していて、その浸食作用は見事なものでした。河川花崗岩の表面は、一般に滑らかとされますが、ここのそれは、手の平でやさしく撫でたように滑々としていて、しかもそのスケールが大きいのです。

滑らかな花崗岩のあちらこちらに、ぽっかりと穴が開いています。ポットホールです。円形であったり、楕円形であったりする穴がぽこぽこと開いていて、その上を水が流れているところもあれば、水溜まりになっているものもあります。

この鮎戻しから龍良山へ向かう途中にアカハラダカ観察所があります。アカハラダカは、鳩の大きさほどの鳥ですが、鷹の一種です。冬になると、中国東北部や朝鮮半島から、大群で渡って来るそうです。成鳥は雄雌とも胸から腹にかけてピンク色を、頭から背にかけては青灰色をしていて、雄は虹彩が黒く、雌は黄色い鳥です。1月に予定されているシンポジウムでは、アカハラダカの大群を、ひょっとすると見られるかも知れません。

アカハラダカ観察所のすぐ近くで、自生ダンギクの群生が見られるそうですが、先を急ぐため見ることができませんでした。ダンギクは、節にボール状に重なって花をつけることからダンギク(段菊)と呼ばれます。花色は鮮やかな青紫色だそうです。

龍良(たてら)山原生林へ

 

 

内山峠を越え、小さな集落を抜けたあたりで、車は左折しました。枝が道路にまで張り出している狭い道ですが、運転手は森林組合の伊原和治さんですので、山道をよく知っておられるのか、気に掛けることなくずんずん進みます。

対馬龍良山の原生林02

 

対馬龍良山の原生林03

 

対馬龍良山の原生林04

 

ここにはバスでは入れないので、1月のシンポジウムでは入口から歩かなければなりません。それを気にしていたら、すぐに龍良山の林道口に着きました。歩いて10分程度のようなので、歩いてもらえる距離です。

林道口に、原生林の案内看板が立っていました。緩やかな傾斜道は荒れていましたが、いきなり原生林の真っただ中に入ったという感じです。平地に近いような緩斜面に、このような照葉樹林が残っているのは、日本の中でここだけだそうです。伊藤秀三さんは「開発すればすぐにでも水田や畑地に変えられるような土地に照葉樹林が自然度高く残っている。それは間違いなく、我々の遠い祖先が日本列島に足を踏み入れたときに見たであろう原植生を今に伝えている」(伊藤秀三「生物分布の十字路 対馬」、『対馬-水越武写真集 照葉樹林の四季』長崎文献社より)といい、この原生林は、貝塚よりも古い時代の環境を今に伝える文化財であるといいます。

入山してみて、これまで自分が経験した森と、まったく異なる植生であることに気づきました。イスノキやスダジイなど、大きな木が立ち並んでいます。木に名札がつけてありました。大きな倒木がいくつかあり、台風によって倒れたと書かれています。

少し歩いたら、ナイフのような美しい葉を持つバリバリノキが目に入りました。上の葉と下の葉が重ならないようについています。照葉樹林の森では、大きな木の樹冠で太陽光が遮られているので、光合成の効率を高めるため、どの木も必死なのですね。

白い花が咲いています。ジンチョウゲ科のコショウノキです。甘い香りがしました。

林下に、アリドオシが茂っていました。赤く熟した実と、鋭いトゲを持っています。この赤い実は、冬を越し翌年の花期まで残すそうで、年中有り通しということから、この名前がつけられたという説がありますが、とげが細長く、アリをも刺し貫くという説もあります。低木の木の葉は、どれも肉厚です。薄暗い林内に、白い花、紫の花を咲かせていて、赤い実もあって、その間に、スダジイやイスノキの巨木がぬくっと立っています。

 

 


対馬龍良山の原生林06

スダジイは、この森を代表する樹種のひとつです。
スダジイのジイは爺ではなく、椎を指します。スダとは総苞(芽)が、巻き貝の仲間のシタダミに似ているからで、シタダミが訛ってスダに転じたといわれます。ドングリの実をたくさん付け、冬も葉を落としません。

スダジイが、龍良山の低地部に巨木を茂らせるのは、耐潮性が強いからです。幹は黒褐色。直立し、成長すると樹皮に縦の切れ目が入ります。葉は大きく、厚く、広楕円形で互生し、先端は細く尖っていて、葉縁の上半分に鋭い鋸歯があります。成長すると樹冠がドーム型になります。スダジイ林を空からみると、ブロッコリー畑のように見えるそうです。スダジイは、巨木になると、自らの身を支えるために板根を張ります。龍良山では、背丈ほどの板根を持つスダジイが、あちらこちらに見られます。

この原生林で、スダジイと共に多いのはイスノキでした。
イスノキは、葉に突起状の虫こぶをつけます。イスノキは、この虫こぶ(ひょんの実)を目当てにすると、すぐにそれと分かります。虫こぶは、成熟すると表面が硬くなり、内部が空洞になるので笛として使えます。イスノキが別名ヒョンノキ(ひょうと鳴る木)といわれるのはこのためです。葉はあまり特徴のない形ですが、光沢が強く、厚みがありました。

龍良山の原生林は、数千年前から斧が一回も入らない山といわれます。しかし、屋久杉の縄文杉の様に、一本の木がずっと生き続けてきたというより、蘇生を繰り返してきた森林です。巨木は板根を張っていても、台風などに襲われると踏ん張り切れなくなって、力尽きた大木があちらこちらに倒れています。自然の摂理です。
巨木が倒れると林冠ギャップ(すきま)が生じます。そこに好陽性の植物が育ちます。巨木が育って林冠が閉じるまで、およそ百年の歳月を必要とするそうです。この死と生の循環とその摂理が、手に取るように分かる森、それが龍良山原生林です。

立派なサルの腰掛け

立派なサルの腰掛け

龍良山は、天道信仰の対象とされ、人々が足を踏み入れることを拒んできました。この森は、神の住むところであり、決して立ち入ってはならない場所でした。

日本各地で、自然の照葉樹林は姿を消していて、まとまった形で現存しているのは、屋久島と宮崎県の綾、そして対馬の原生林などに限られています。先にも書きましたが、緩斜面に広がる照葉樹林の原生林は、ここだけです。

しかし、龍良山の原生林は、耕地や二次林、人工林へと姿を変え、現在95haにまで狭まっています。大正12年に国の天然記念物に指定され、その後、森林生物遺伝資源保存林に指定されるに至っていますが、人々が農耕生活を始めるまで、西日本一帯は照葉樹林の森に覆われていたことを考えると、ここは間違いなく最後の砦の一つです。

鹿子の木(カゴノキ)

鹿子の木(カゴノキ)

対馬の原生林は、もう少し暗い森かと思っていましたが、ところどころに林冠ギャップがあって、思っていたほどではありませんでした。荒れるに任せられた暗い人工林ばかりを見てきたためか、ぼくはむしろ明るい森だと感じました。

空を行く風が、樹冠の葉を楽器にして音楽を奏でていました。これまで耳にしたことのない不思議な音でした。原始の森にあって、人はこんな音を聞いて暮らしていたんだ、という想いにとらわれました。

帰り道で、子鹿の体の模様に似ている鹿子の木(カゴノキ)を、結構たくさん見ました。樹皮は灰黒色ですが、樹皮が薄く円くはげ落ちて鹿の子模様になるので、この名前が付けられました。対馬では子鹿の木(コガノキ)と呼ばれています。見上げると、淡黄色の花がついていました。

原生林と人工林の関係

竹内典之(タケウチ ミチユキ)さんは、先にも紹介したように、学者生活のほとんどをフィールドワークで過ごされたという、稀な先生です。
そのうち、芦生演習林には10年ほどおられました。芦生演習林は、京都府の北東部、由良川の源流域に位置する、関西屈指の広大なブナ原生林として知られます。この演習林は、全面積(4200ha)の半分が天然林で、多種多様な動植物の生息と生育地になっています。京都大学の学術研究用ということで、研究者達が心血を注がれ、よく管理され、自然が守られてきたことから、今の姿をとどめています。

対馬対州檜の森01

対州檜の森(人工林)

この演習林を訪れる人のガイドは、京都大学フィールド科学教育研究センターの研究者たちが教育して育てた、地元の青年達が務めています。竹内さんは彼らに対して、「森ではこういうことをしてはいけないということだけを伝えてほしい」と指導しています。とてもシンプルなやり方です。

対馬には、原生林が幾つもありますが、洲藻白嶽(すもしらたけ)に、韓国旅行客の人気が集まっています。洲藻白嶽は、東峰と西峰を持つ双耳峰の山だそうで、山頂は石英班岩でなります。この岩肌を包むようにして原生林が広がっています。

対馬対州檜の森02エコブームということもあり、洲藻白嶽にも、龍良山にも、これからたくさんの入山者があることでしょう。対馬の原生林は、大きな「観光資源」です。この人類の遺産を人々が見逃す筈がありません。しかしながら、世界遺産になったところは、指定地域は厳格に保護されるものの、周辺部はたいがい荒れています。世界遺産に地元が沸くのは、観光地になるからで、自然を守るより、その経済効果に目が向きがちです。白神山地でその心配が伝えられていますし、この冬に訪れた飛騨白川郷と越中五箇山では、合掌造りの建物は、お土産物屋さんやお蕎麦屋さんに姿を変えていました。

対馬の原生林は、今後、旅行者が増えることでしょう。その折、大切にしてほしいのは、竹内さんがいわれるように、原生林を歩くルールをしっかり守らせるガイドの育成です。龍良山には、まだ遊歩道がありません。尾瀬のように、遊歩道以外、歩けないようにすべきです。来山者が増えたら、入場制限も必要になります。この場合、旅行者の利便を考える必要はなく、不便で、厳格にルールを敷くことが、かえって魅力を高めます。それだけ貴重な資源です。どこまで人為を加えないで済むか、そのことが対馬に人が寄る条件だと関係者に気づいてほしいと思います。

今回のぼくの訪問は、入口から30分程度奥に入っただけのものでしたが、webで登山者の記録を読むと、この奥に人工林が一部入っているそうで、一様に「何で?」と疑問を口にしています。荒れた人工林を抜けると、次にアカガシの群生が見られ、そうして頂上に至るそうです。
つまり、龍良山は、斧が一回も入っていないのではなく、入っていたのです。これをどうするかが問われています。

自然に戻すのも一案ですが、簡単には戻りません。これを「負の遺産」と考え、そこを人工林にした所有者の末裔に、最後まで責任を持ってもらうのも一案です。奈良の吉野や、鳥取の智頭に見られるように、300年生の立派な森に育成する責任がその人たちにあります。所有形態がどうなっているのか知りませんが、林業供給公社が所有者なら公社が、所有者が公有または個人のものなら、対馬市と対馬森林組合が、あるいは所有者が責任を持つべきです。原生林より暗い人工林の森があるのは、この島の恥だと思います。

スダジイやイスノキの森を歩き進めると、次に、明るい日差しが差し込む吉野や智頭のような森へと移り、さらにアカガシの森へと向かうことができれば、龍良山は、対馬と日本の財産と言うだけでなく、世界遺産となる山になります。

対馬対州檜の森03竹内さんは、森林資源管理学の先生です。
人工林における間伐後の個体の胸高直径成長量や、東吉野村におけるスギ人工林の密度管理の研究で知られます。ぼくは京都大学での、先生の最終講義をお聞きしましたが、そのときの先生の緊張気味の口吻を昨日のことのように覚えています。

先生は、人工林の研究者として名高い方ですが、植物にえらくくわしい人であることを、迂闊にも、この旅で知りました。原生林と人工林の関係性の視座というか、視点が定まっている点で、ゆるぎない人だと思いました。

竹内さんを紹介する際、ぼくはいつも、人工林に寄せられる竹内さんの思いを書いてきました。竹内さんは、人工林は密植して間伐することを前提としており、それは山と、木を植えた人とそれを受け継いだ者との契約を意味するといいます。放置林は、つまりをいえば契約違反なのだと……。

天然林と異なり、人工林にした山は人が面倒を見切らないと酷いことになります。植林した以上、必死になって面倒をみるのが、所有者が持つべきモラルです。

対馬の人工林を見た竹内さんは不満でした。車窓から山を見上げては憂鬱な顔をしておられました。ただ、まだ救いようがあると竹内さんはいいます。

対馬は、他の土地より10年ほど遅れて戦後植林に乗り出しました。50年を超えて線香林に陥っている山は救いようがなくなっていますが、対馬の山は、遅れて出発した分、まだ間に合うと竹内さんはいうのです。

この指摘は、対馬の林業関係者にとっては辛辣なものでしたが、この現実と正面から向き合い、立ちあがるなら、自分は協力する、力を出し惜しまないという竹内さんの意思は明確です。それは、その思いが対馬の人に響かないわけがありません。

対馬対州檜の森04財部能成対馬市長は、今回の面談のなかで、80年で回るような森にしたいと言っておられました。意気込みやよしです。しかし現実は、80年を超える対州檜(対馬のヒノキ)の森は、わずかしかありません。40年程度のものを列状間伐しながら、原木のまま、港から伊万里港に送り出しているのが現状です。とりあえずお金になっているけれど、間伐し、山を育成するに十分なお金とはいえません。
対馬には、和風の立派な家がそこここに見られます。外からみると豪邸ですが、老夫婦だけの家が少なくないようで、室内工事が滞っている建物が多いと聞きました。そこに子どもたちが戻ってくることを願っての建築であるわけで、その工事を残してあるといいます。若い人が島に戻ってくるには、新たな仕事を生まなければなりません。

町のニーズに応えられる質の高い製材所や、プレカット工場の建設が望まれるわけですが、とりあえずは、腕のいい大工がいるわけだから、彼らの腕を活かして上棟までの仕事を対馬が請け負い、それを福岡や長崎に運んで、そちらの大工にバトンタッチするやり方が考えられます。山形県の金山方式のように、木工事に限って、大工そのものを派遣することもできます。同行している輝星建設の平山耐社長にお聞きしたら、それは願ってもないことで、そういうことを可能にしたいので、自分は対馬に来ているのだといいます。

天野礼子さんは、釜山までは50キロの距離なので、建築期間大工を派遣して、釜山に木の家を建てることを財部市長に提案しました。そうしたら、市長はすでに釜山に「対馬の家」のモデルハウスを建てる構想を立てておられることが分かりました。

80年で回る人工林を育成するのは容易ではありませんが、竹内さんは森林組合の勉強会で、対馬の人たちが、どういう森を造りたいのか、計画をしっかり立て、やり抜く意思を持てば、それは可能なことだと言い切られました。

原生林の面でも、人工林の面でも、健全な山が回復すれば、それは対馬の海の魚付林になります。森里海の連環が、これほど正直にあらわれるところはありませんので、ここでシンポジウムを開く価値はとても高いと思いました。

豆酘崎から

 

 

対馬豆酘崎02龍良山を訪れたあと、伊原さんはハンドルを豆酘(つつ)崎に向けました。龍良山の入口から豆酘崎までは6.5キロの距離です。道は狭いのですが、ほぼ一直線の道です。

伊原さんは、この道は自衛隊がつくった弾丸道路だといいます。林道や作業道は、木の集材のための道路であるため、くねくねしていますが、この道は一方から一方に、最も効率よく達することを目的にして造られた道です。軍用道路というのは、それと聞くだけで、どういうわけか硝煙臭いものを感じます。

豆酘崎は、対馬海流の南端にあたります。展望台からの眺めは雄大なものでした。天気のいい日には、平戸や壱岐が望めるといいます。日露戦争の折、ロシアのバルチック艦隊が、豆酘沖を通るのか、島の北端を通るのか、ここに立って見ていた人がいたことでしょう。航海の目印となる白い灯台がありますが、この辺りは瀬が多くて、船乗りにとっては難所です。けれど磯釣り人にとっては最高の場所であるようで、天野さんがそれを口にすると、伊原さんはニヤリと微笑を浮かべられ、グレ釣りの名所だといいました。海への切り込みは、東尋坊を思わせるものがありました。

豆酘崎には、対馬特有のオニユリが見られるといいます。時期がずれたのか、見ることができませんでした。ここのオニユリは二倍体の個体が多く、三倍体の自生種が見られるそうです。その三倍体のオニユリから突然変異により花弁が黄色になったものが、オウゴンオニユリです。

夏には、対馬固有種のツシマギボウシや、大陸系のキスゲであるハクウンキスゲが、豆酘崎の急な断崖を彩っているそうですが、それらを認めることはできませんでした。けれども、ハマナデシコが見事に群生していました。この花は下部が木化していました。海辺の強い潮風に負けないで、根を張って、懸命に咲いているのです。

厳原(いずはら)の町から原生林の森を望む

厳原(いずはら)の町から原生林の森を望む

豆酘崎からほど近い、豆酘の集落は、外来漁民集落として知られています。この地には、南方や大陸から、「海の道」を通って、いろいろな人が漂着し、自然に混血が進んだといわれています。対馬の中で、言語風俗に独特なものがあり、「豆酘美人」という言葉もあって、この集落には美人が多いといわれます。民俗学者宮本常一の『壱岐・対馬紀行』(前掲)に、ハギトウジンを着た豆酘の娘さんが写真で紹介されています。

ハギトウジンとは、対馬の代表的な筒袖の仕事着をいいます。反物の端を断ち落とした縞(しま)やかすり生地を縫って作られます。豆酘に残る美女塚伝説にちなむ哀話を秘めた着物でもあります。

ぼくは豆酘の集落に降り立ちたいと思いましたが、先を急いでいることもあり、気も弱いため、眼下にするだけで過ぎました。
オニユリを見られなかったことと、豆酘の集落に立ち寄れなかったことが思い残されたのでした。


シンポジウム
対馬から「林業再生」を考える

森里海連環思想の提案

日時 2010年1月23日(土)13:00〜17:00
基調講演 「サケが森をつくっていた――森里海連環の気づき」
C.W.ニコル(作家・「日本に健全な森をつくり直す委員会」副委員長)
講演Ⅰ 「対馬の森を見てみると」
竹内 典之(京都大学名誉教授・「日本に健全な森をつくり直す委員会」委員)
講演Ⅱ 「森林組合改革と作業システム改善は、どのように進んでいるか?」
相川 高信(三菱UFJリサーチ&コンサルティング研究員)
講演Ⅲ 「日本一雨と破砕帯が多い吉野で作業道づくりが経営を助ける」
岡橋 清元(清光林業 第17代当主)
講演Ⅳ 「対州檜で家をつくる運動」
小池 一三(町の工務店ネット代表・森里海連環学実践塾塾頭)
パネルディスカッション 「対馬から「林業再生」を考える」
パネリスト 財部 能成(対馬市長)
扇 次男(対馬森林組合組合長)
平山 耐(長崎・輝星建設代表取締役)
進行 天野 礼子(作家・「日本に健全な森をつくり直す委員会」委員・森里海連環学実践塾塾長)

森里海連環学実践塾は22日(金)〜24日(日)までの予定です。

 22日(金)13:00〜 龍良山原生林と豆酘崎へ
森里海連環学実践塾
 23日(土)午前中 厳原市内 自由行動
 24日(日) 対州檜の森へ
対馬最北端へ

関連記事
びお特集「玄界灘に浮かぶ対馬に、古代の森と、今の森を見に行く
[対馬紀行その一] 」
http://www.bionet.jp/2009/04/tsushima01/
びお特集「ニホンミツバチの島 [対馬紀行その二] 」
http://www.bionet.jp/2009/04/tsushima02/

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  1. koikeさんからのコメント

    2009/10/19(月)10:15

    シンポジウムは、それなりに難いものになるでしょうが、学会の研究発表ではないので、まったく分らない話ではないと思います。このシンポジウムの前後に開かれるツアーは、なかなかのものになると思っています。建築関係以外の人の参加もらOKです。是非、ご参加ください。
    福岡から飛行機で30分なので、思われているほど遠くではありません。

  2. かずさんからのコメント

    2009/10/15(木)20:15

    対馬のことは何も知りませんでした。一度、訪ねて見たくなりました。調べたら、福岡や長崎から飛行機で30分程度の距離で、そんなに不便な場所ではないようです。このシンポジウムは工務店や林業関係でなくても、退屈しないで参加できますか。

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