花々舎の草花
秋分・水始涸(みずはじめてかるる) コムラサキ
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花屋さんではムラサキシキブ(紫式部)として売られています。
初夏にうっすらと紫色の小さな花をつけるのですが見過ごしてしまいます。
9月の中ごろになると、緑色の実は根元の方から徐々に紫色をのせてゆきます。
紫色の実はやがて枝の先までびっしりとつき、その枝にすこし触れただけでゆらりと優雅な動きを見せて、こちらを惹きつけます。
クラフト紙にくるんで家に持ち帰り、広げようとしたら実がパラパラと床の上にこぼれました。
無作為に広がったその実を手の平に集めていたらそのまま捨てられなくなって、小さな白いお皿に移しました。
いま、その紫色の美しさに癒されています。

今、対馬のホテルにいて、この原稿を書いています。
日中、対馬の南端、豆酘(つつ)岬に立ちました。岬の展望台からの景色は、それこそ息を飲むような絶景もので感銘を深くしましたが、海岸線を見降ろしたら、たくさんの漂流物がありました。対馬の沿岸には、対馬海流に乗って韓国などから、プラスチック類の容器、生活廃棄物、漁具類などの漂着ゴミがあります。韓国から、それを見かねてゴミ回収のボランティアが来島したという話を現地の人から聞きました。
そのゴミを見降ろしながら、ふいと田村隆一の詩の一節が思い浮かびました。こちらは海ではなく、空でありますが……。
この詩は『幻を見る人』四篇の中の一つに出て来る一節です。その一篇目は、
空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
で始まります。「空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない」と詠むのが田村隆一で、逆説的な語法と、斬新な暗喩でうたった詩で知られる田村をよく表した詩だと思います。
田村は、アガサ・クリスティーなどミステリ小説の翻訳などでも知られ、吉本隆明は「日本でプロフェッショナルだと言える詩人が三人いる。それは田村隆一、谷川俊太郎、吉増剛造だ」と評価しています。詩のタイトル『幻を見る人』が、何とも洒落ていますね。余分な装飾はなくて、実に男性的です。
田村は、食道がんのため逝きました。そのお墓は、鎌倉市妙本寺にあります。田村の詩の一節に「わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立させよ」というものがあります。
カップ酒を置きたくなる墓だと、誰かが書いていました。
秋分「水始涸・みずはじめてかるる」
http://www.bionet.jp/2008/10/bio72_48/




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