花々舎の草花

白露・玄鳥去(つばめさる) ススキ

2009年09月18日 金曜日

ススキ01

庭に一株、タカノハススキが植えてあります。8月の上旬には穂が出て例年よりは穂の出方が早いようです。
ススキはどこにでも見られる地味な植物ですが、春、夏、秋、冬と眺めていると次第に目が離せなくなる気がかりな植物です。
私は仲秋の名月には秋の七草を供えてお月見をしますが、秋も深まった栗名月にはススキだけを供えます。
月のあかりに銀色の穂が浮かび静かな秋の夜を演出してくれます。

ススキ02


旬の句

ススキ01ススキ01

子規は、牡丹餅(あるいはお萩)が好きでした。『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』に、「陸より手製の牡丹餅をもらう。此方よりは菓子屋に誂へし牡丹餅をやる。菓子屋に誂へは宜しからぬことなり。されど衛生的にいへば病人の内で拵へたるより誂へる方が宜しきか」(以下略)と書いています。牡丹餅に限らず、この本を読むと子規の食べることへの執念が感じられます。病人がこれだけ食べられるのか、と思うほどの大食漢で、消化できなくて吐気を催すことがありましたが、それでも好物を選んで食べ続けました。1901(明治34)年9月22日の食事は、「朝はぬく飯四椀、佃煮、奈良漬、ぶどう三房。昼はまぐろの刺し身、粥一椀半、味噌汁、奈良漬、梨一つ。間食に牛乳一合ココア入り、菓子パン。夕は粥三椀、泥鰌鍋、焼茄子、昼の刺し身の残り、奈良漬」という具合です。
三つの句は、いずれもお萩を詠んだ句です。子規の感情がよく出ています。『仰臥漫録』は、子規の日録ですが、「牛乳一合ココア入り、菓子パン」という記述は毎日のように出てきて、菓子パンが羊羹や煎餅、それからお萩であったりします。お萩にしろ、牡丹餅にしろ、甘味を口にする機会の少ない時代にあっては御馳走でした。
「お萩くばる彼岸の使行きあひぬ」という句は、親類や知り合いの家にお萩を配る使い同士が出会った光景が詠まれています。「餅の名や秋の彼岸は萩にこそ」は、もうお萩賛歌ですね。何しろ、病床にあって毎日食べても飽きなかったのですから……。
お萩と牡丹餅の違いについては、諸説あります。小豆餡をまぶしたものをぼたもち、黄粉を用いたものをお萩、こし餡を使ったものを牡丹餅とする説、春夏は牡丹餅、秋冬はお萩とする説、餡ではなく、餅(皆殺し)の状態までついたものを牡丹餅、搗いた米粒が残っているもの(半殺し)をお萩という説、牡丹が咲く頃のものを牡丹餅、萩の花が咲く頃のものをお萩と呼ぶ等々……。
牡丹餅もお萩も、春と秋のお彼岸に食します。これは、餡となるあずきの赤色に邪気を払う、まじない効果があるからといわれます。それが先祖の供養と結びついたのでしょう。句仏に「お萩腹秋の彼岸の暮れかかる」という句があり、晴汀に「雨淋し秋の彼岸の萩の餅」という句があり、そして蕪村に「命婦より牡丹餅たばす彼岸かな」という句があります。


    小 大
    ページ上へ