花々舎の草花

大暑・桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ) ヒオウギ

2009年07月23日 木曜日
姫百合01
花にくらべると葉は花と釣合がとれぬ程に大きくしっかりと広がっています。葉の形が桧扇に似ていることからこの名前がついたのです。秋になると実がはじけ丸くつやつやとした黒い種があらわれます。この種のことをぬばたま(注)といいます。
40数年前の古文の授業で”ぬばたま”の言葉のひびきに妖しい気を感じたことをふぁ〜と思い起こしました。十二単に桧扇を手にした女房たちはこの花に何を語りかけていたのでしょう。
注 ぬばたま(うばたま) 黒、夜などにかかる万葉集の枕詞。
姫百合02


旬の句

姫百合01
[季語/夏野]
梵論(ぼろ)とは、虚無僧(こむそう)のこと。有髪の僧をいい、小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯し、尺八を吹きます。梵論の語源は、”ぼろぼろ”の紙衣を着ている容姿から付けられました。蕪村が詠む、夏の野原で果し合いをする梵論は、実は『徒然草』(115段)に出てくる話です。「二人河原に出あひて、心行くばかりに貫きあひて、共に死にけり」と書かれています。吉田兼好は、梵論が「死をおそれず、すこしもこだわらないところが、小気味よく思われて」書き記しました。蕪村の句は、これをもとにして詠まれました。梵論は、今の人には縁遠い存在であり、果し合いなど、およそ考えられない話ですが、中東の現実に見られるように、梵論は、今も世界中にいます。


姫百合01
[季語/夏の原]
画狂人・葛飾北斎の辞世句です。北斎は九十歳で亡くなりました。北斎は、死んじゃったら、「ひと魂(ひとだま)」となって、のんびりと「夏の原」を気ままに漂うといいます。「気散じ(きさんじ)」とは、は心の憂さをまぎらわすこと、気晴らしをいいます。芭蕉の辞世句「旅に病で夢は枯野をかけ迴る」と比べると、こちらは滅茶明るいですね。夏の原っぱをこんな陽気なひと魂がうろうろしていたら、お化けも怖くありません。「あと10年生きたいが、せめてあと5年の命があったら、ほんとうの絵師になれるのだが」と、つぶやき、大息を一つついて、息をひきとったといいます。死は誰にも訪れることだけれど、さて自分はどういう境地に立てるのか、芭蕉風なのか、北斎風なのか。


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  1. koikeさんからのコメント

    2009/7/25(土)15:47

    お久しぶりです。「びお」を開始して1年、少しカタチになってきたかな、と思っています。今年は、この項は花を追います。俳句は、毎回二句取り上げます。これは私が書いていますが、この間までの「七十二候」に比べると、余裕を持って取り組めます。
    「びお」は開かれていますので、道具のことなど、書いていただければ幸いです。

  2. 川島康治さんからのコメント

    2009/7/24(金)11:04

    ご無沙汰いたしております、毎回楽しく教養豊かに読ませていただいております。ますます盛んに敬服致しております、有り難う御座います。「ヒオウギ」と「蓮華」「椿」が何故か好きで「夏椿」「姫沙羅」「野甘草」なども好きです。今後とも楽しみに致しておりますので、いろいろなお話の紹介をお願い致します。

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