びお・七十二候

蓮始開・はすはじめてひらく

2009年07月12日 日曜日
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蓮始開

蓮始開と書いて、はすはじめてひらく と読みます。蓮の花が開き始める時候をいいます。
夜明けと共に、泥の中に、水を弾いて優雅な花を咲かせ、4日目には散ってしまいます。俗世にあって俗世にまみれず、清らかに気高いことから、古代の人は、この花に極楽浄土を見ました。
蓮の花の中には、何千年もの間、泥に眠り続けている種子があるといいます。それがあるとき、ふいと水上に現れて花を咲かせることがあるというのです。
実際にそんなことがあるのか不思議でなりませんが、1951(昭和26)年、千葉市検見川の「縄文時代の船だまり」から発見された3粒の蓮の実は、植物学者・大賀一郎博士(1883〜1965)によって、約2000年前のものと鑑定されました。
その種子は、地下約6メートルの泥炭層から発見されました。大賀博士が発芽を試みたところ、3粒のうち1粒が、その年の5月に発芽し、翌年7月に開花しました。以来、大賀ハスは「世界最古の花」とされ、千葉市千葉公園に移され、また国内外に根分けされました。
古代連は各地に見られます。なかでも埼玉県行田の「古代蓮の里」は有名です。この蓮は、ゴミ焼却場建設予定地を掘り起こしている途中に自然発芽し、開花しました。行田蓮は、1400年前から3000年前のものと推定されます。JR高崎線行田駅からシャトルバスが毎日運行(運行期間/6月20日〜8月9日)しています。10万株が花開きます。

蓮は「蜂巣(はちす)」の略とされます。
花床にたくさんの穴があいていて、それが蜂の巣に似ていることから付けられました。
仏典では「蓮華(れんげ)」の名で登場し、仏像の台座によく使われます。スペインのアルハンブラ宮殿にも、蓮池があります。あの蓮池に立つと、不思議とアジアを感じるのは、古代蓮を持つ国に住んでいるからでしょうか。
地下茎はレンコン(蓮根)として食用になります。花、葉、茎、種子なども食用になります。

ほのぼのと舟押し出すや蓮の中
夏目漱石

さて、この「七十二候」は、昨年7月の小暑の末候「鷹乃学習」から始まって、ちょうど1年を巡ります。ご愛読ありがとうございました。
次回からは、装いも新たに連載を開始する予定でおりますので、ご愛顧のほど、お願い申し上げます。子規の

みちのくへ涼みに行くや下駄はいて

という句で、一年を締め括らせていただきます。
子規は、1893(明治26)年7月19日 に、開通間もない東北本線の汽車に乗って仙台を目指します。この句は、上野停車場に立って詠んだ句です。
『奥の細道』を意識した句で、芭蕉の野ざらしの旅ではなく、自分はお気楽に、下駄をはいて、ちょいとみちのくに涼みに出掛ける、と洒脱にいうのです。
「鉄道の線は地皮を縫い、電信の網は空中に張るの今日」であれば、奥羽が遠いというのは昔の話で、「今は近きたとえにや取らん」と『はてしらずの記』に書きます。奥羽も、今では鉄道のおかげで近くなったというのです。当時、仙台までは12時間を要しましたが、芭蕉の時代に比べれば楽なことでした。
この旅は、子規26歳、新聞社に入社した翌年のことでした。
子規は、仙台に行く途中、二本松で汽車に乗り直し、福島に到着し、そのあと信夫山に散策します。その翌日、子規は信夫文知摺(もちずり)石を見るため文知摺観音に足を延ばします。その石は、芭蕉が訪ねた石でもあって、石の表面に、愛しい人の姿が現れるという伝説があります。石の前に立って、

涼しさの昔をかたれ荵摺

という句を詠みます。感慨一入といいたいところだけど、自分は暑さに閉口したというのです。子規は、帰り道も炎熱に悩まされました。ところが、人力車で飯坂温泉を目指すと、次には肌寒さが襲ってきて、「涼極つて冷。肌膚粟(きふあわ)を生ず。湯あみせんとて立ち出れば雨はらはらと降り出でたり。浴場は2箇所あり雑踏芋を洗ふに異ならず」(前掲)と綴ります。
飯坂温泉については、「ままよ浮世のうき旅に行く手の定まりたるもの幾人かある。山あれば足あり金あれば車あり。脚力盡くる時山更に好し財布軽き時却(かえ)って羽が生えて仙人になるまじきものにもあらず」と書いて、

夕立や人声こもる温泉のけむり

という句を詠みます。この句碑は、飯坂温泉に立っています。

子規は、仙台に着いた後、松島などに遊びます。
8月6日に、作並温泉から関山峠を越えて東根に入り、楯岡に1泊します。7日は大石田。
翌8日は大石田から川船で最上川を下りました。

舟引きの背丈短し女郎花(おみなえし)
蜻蛉(かげろう)や追ひつきかぬる下り船

子規は古口に1泊して、清川まで船で下り、清川から陸路を歩き酒田に着きました。このとき、子規は下駄を捨ててわらじに変えます。酒田からは、芭蕉が辿った北越への道ではなく、秋田、岩手へと回ります。
「宿を出て北する事一二里盲鼻(めくらはな)に至る。邱上に登りて八郎湖を見るに、四方山低う囲んで細波渺々(びょうびょう)唯寒風山の屹立(きつりつ)するあるのみ。三ツ四ツ棹さし行筏(いかだ)静かにして心遠く思ひ幽かなり」

秋高う 入海晴れて 鶴一羽

という句を詠んでいるものの、子規は、もうくたくたの状態でした。秋田に行ったというものの素通りに近いものでした。ふらふらになって東京に戻ったのは、出発から約一ヶ月後の8月20日のことでした。

秋風や旅の浮世のはてしらず
痩骨の風に吹かるる涼みかな

子規は、3年前に喀血し病魔に冒された身体でした。
この旅の顛末は、子規という人をよく表しています。
それにしても上野停車場で詠んだ、出だしの「みちのくへ涼みに行くや下駄はいて」は、いいですね。青年らしい客気があって、とても好きな句です。

日本には緒を用いる、よき履物が三つあって、その一つは、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄で、もう一つは草などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、三つ目は、踵まで覆い足から離れないように緒で結ぶ草鞋(わらじ)です。
下駄は中国にもありますが、日本語の下駄にあたる言葉はないといいます。木靴まで含めて木履といいます。
オランダに行くと、この木靴がお土産で売られています。オランダの湿地帯で仕事をする農夫や 漁師たちに必需品だったそうですが、履いてみて、履き心地が悪く、オランダ人はこれを履きこなしているのか、興味を持ちました。オランダ人が下駄屋や草鞋を履いたら、多分、同じことをいうでしょうが。
日本では、9割以上が砂利道であった市町村道に、東京オリンピックを契機にアスファルトによる舗装が広まり、下駄が廃れたといいます。
下駄の良さは、あの音にあります。「カラコロ」あるいは「カランコロン」と鳴ります。

その音を響かせて、子規は、子規の「奥の細道」に出掛けたのでした。

俳句
大賀ハス(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大賀ハス(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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  1. koikeさんからのコメント

    2009/7/16(木)13:46

    doriさん、ありがとうございます。次回の更新から、内容やヴォリュームは異なりますが、引き続き連載を続けます。よろしくお願いします。

  2. doriさんからのコメント

    2009/7/14(火)23:20

    毎回、季節感あふれる句の紹介をありがとうございました。とても楽しみにしておりました。思わず引き込まれて、読み返すこともたびたびの、読み応えあるコーナーでしたね。四季の移ろいも見過ごすことの多いあわただしい生活ですが、このように、ひととき心を遊ばせられるコーナーを、またお願いします。

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