興味津々
興味津々・No.066
- 小
- 中
- 大




亡くなった宮脇檀(1936年〜1998年)に、『都市に住みたい――何故 日本人は郊外に住むのか』(PHP研究所)という本がある。「どうして日本人は郊外へ郊外へと、あんな猫の額みたいな土地にペナペナの家を建て私有しようとするのか、どうして都市に住んで都市生活というのを味わおうとしないのか。ヨーロッパの建築家に、「都市というのは人がたくさん住んでいるところだから・・・・・」とアッサリ言われてしまった時に、一気にその疑問が爆発してしまった」と宮脇は書いた▼宮脇が亡くなって、早10年を過ぎる。大都市に超高層マンションが林立して、この状況が変わったように思われるかも知れないが、宮脇は超高層マンションを望んで、この本を書いたのではなかった。というより、彼は低層の建物を好みとし、そういう設計活動を旨とした建築家だった▼この本は、シティボーイ宮脇檀が、まことに面目躍如していて、小気味いい。彼はしぶとく都市に住み続ける人だった。それをだれ憚ることなく、朗らかに、率直に語った▼その宮脇が設計した住宅団地が日野市の高台にある。日本におけるボンエルフ・デザインの嚆矢(こうし)とされる仕事である▼ボンエルフとは、オランダ語で「生活の庭」を意味する言葉で、その意味するところは、道のカーヴを増やしたり、路面に出っ張りをつくったりして、車がスピードを出せないようにした道路のことをいう▼しかし、この団地で宮脇が行ったのはボンエルフだけではなかった。土地区画のブロックは小さく、歩専道と自転車を押して通れる斜路付き階段、ポケットパークと木陰のベンチなどを設計し、なかでも緑化計画は力が入っていた▼この団地を見たのは、完成して10年を経ていたが、樹は大きく育ち、青々とした緑が建物を覆っていた。宮脇はこれをやりたかったんだ、とそのとき思った。宮脇は、この団地の建物を設計しなかった。建物はハウスメーカーの変哲もないものだった。その建物は、見事に隠されていた。そんな建物見せてなるものか、という宮脇の、あのいたずらっぽい顔が、そのとき浮かんだ▼それは郊外の団地であったが、彼のシティへの思いを託したものだと思った。ヨーロッパの街並みと比較して、どうしても敵わないのは緑だよなぁ、というのが宮脇の口癖だったから。






2009/6/12(金)22:48
チョーさん、ありがとうございます。新潟長岡の高田清太郎さんと、日野の団地を訪ねたときのおどろきを、今も新鮮に覚えています。こういう仕事を宮脇さんはしたのだ、やりたかったのだ、とそのとき思いました。
高田さんはそれを、長岡の摂田屋という町で実践に移されました。その団地は「プチの森」と名づけられ、一つのカタチを見せつつあります。宮脇さんの遺伝子は、そうして残されています。
2009/6/12(金)19:15
どなたがお書きになったのかはわかりませんが、これはまた見事なエッセイですね。宮脇さんの、ある種の毒舌?調よりも味わいが深い。郊外の夢といえば思い出すのはウイリアム・モリスで、彼は郊外に「赤い家」をつくって仲間とともに住みました。でもその芸術家集団はやがて崩壊します。田舎にこもって独善的になってはイカン、という神様の教えなのかもしれません。ところで、田舎あるいは郊外にあって都市にはないもの、それは樹木の輝きでしょう。都市のなかの樹木に輝きを取り戻すこと、たぶん宮脇さんが「生活の庭」でやりたかったのはこのことかな、とも思います。「樹木に建築と同じ価値がある」という直感は、古くさくみえてじつはアタラシイと思います。願わくば都市にブルータス、おっと間違えた、野生の樹木の輝きを。