びおの七十二候

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菖蒲華・あやめはなさく

夏至次候あやめはなさく

菖蒲華と書いて、あやめはなさく、と読みます。
稲作には水が必要です。雨を欲する農家は、あやめの開花を見て、梅雨の到来を知ったといいます。
菖蒲という字は「あやめ」とも「しょうぶ」とも読みます。アヤメ、カキツバタ、ハナショウブの判別は、よく知っている人は一目瞭然だそうですが、素人目にはなかなか見分けがつきません。分りやすいのは、咲く場所で判別することだそうで、アヤメは山野の草地に咲き、ショウブは水辺や湿地に咲きます。
あやめという和名は、葉が二列に並んでいる文目(あやめ)の意味からとされ、花の外花被の基部に綾になった目をもつことから名付けられたという説もあります。
あやめを詠んだ句は、たくさんあります。

なつかしきあやめの水の行方かな  高浜虚子きょし
野あやめの離れては濃く群れて淡し  水原秋櫻子しゅうおうし
ひとくきの白あやめなりいさぎよき  日野草城そうじょう

そんな中で、
桂信子(1914年〜2004年/享年90才)の句、

衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

は、独自の世界を持っています。信子の句について、大岡信は『折々のうた第十』(岩波新書)の中で、「結婚後まもなく夫を喪った女性の「女ざかり」の哀しみ、心の揺れを情感こめて詠んだ句が多い。「衣」は、キヌと読むのだろう。夜、自分一人の家に帰りついて着物を脱ぐ時、闇の彼方にあやめが咲いているのを感じる。闇に隠れて、ひとり、色鮮やかに」と書いています。
衣をぬぎしは、寝間に着く前のひとときで、一日の中でいちばんホッとする時間です。布団はもう敷かれています。今夜もひとりで寝るのだ、と思ったとき、昼間見たあやめの花が闇の彼方に思い浮かぶのです。この句は『女身』に収められた句ですが、同じ句集に、

いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす
月光に踏み入るふくらはぎ太し

という句があります。この句集は、昭和30年に出された第二句集で、昭和24年に出された『月光抄』と共に、社会性が乏しいと言う理由で、俳壇から酷評を受けました。それでも信子は、自分の感じたことをそのままに詠むことに徹しました。
結婚して2年目に夫を亡くし、空襲で家を焼かれ、最愛の師(日野草城)も失いました。
日野草城は、新興俳句運動の旗手として知られた俳人でした。にもかかわらず、信子は自分の世界だけを詠みました。

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜
やはらかき身を月光の中に容れ
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

信子の激しいものが内奥でうごめいていて、それが発露はつろしています。そうなのです、彼女は、現代俳句に初めて女体を表出した俳人なのでした。

涅槃像ねはんぶつの肉色の足伏しをがむ

涅槃像とは釈迦入滅の姿を表わした絵または彫り物です。ここに詠まれた涅槃像は「寝釈迦」です。寝釈迦の像は、日本ではあまり見掛ませんが、タイに行くと拝めます。ありがたいお釈迦様ですが、妙に肉感的です。
信子の句を幾つか紹介しておきます。

涅槃図の裏側をゆく人の声
月光に遠く置かれしレモンかな
土佐に入る日傘のまはりみな緑
これからのことはまかせて山眠る
冬麗や草に一本づつの影
このごろや夕かけてくる時雨ぐせ
夕風やさざ波となる遠き蝉
野の果をずいと見渡す更衣
日は空を月にゆづりて女郎花おみなえし

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年06月26日の過去記事より再掲載)

菖蒲華と猫