特集
マンハッタンと呼ばれた島 北マリアナ諸島[テニアン]
- 小
- 中
- 大

先住民であるチャモロの王族ゆかりのタガビーチ。地元の子供が遊んでいた。

北部にあるチゲ・ビーチ。天然のイセエビがとれる
玉砕の島で原爆は搭載された
テニアンに行ってきました。
と言うと、何度となく、「ケニアですか」と聞き返されました。サイパンの近くにある、と説明しても、島の名前にはっきりしたイメージを連想できる日本人は少ないのかもしれません。
でも、ここは、サイパンと同じ玉砕の島にして、広島、長崎の原爆が搭載された島。そして、日本ではほとんど報道されませんが、実は、沖縄の米軍基地がやがて移転してくる島でもあります。
島を囲むのは、鮮やかな青い海。とりわけ透明度の高さは、世界の海と比べても引けをとりません。沖合には、海ガメも棲息しています。
戦争をめぐるさまざまな物語が交錯する、小さな島のお話をしたいと思います。
もうひとつのバンザイクリフ

バンザイクリフの青い海
テニアン島の人口は約三千人、面積はおおむね伊豆大島と同じくらい。サイパンと同じくアメリカの自治領、北マリアナ諸島に属します。
これらの島々は、古くはスペイン、そしてドイツ、さらに第一次世界大戦後は、日本が統治しました。

日本統治時代をしのばせる神社の鳥居
日本統治時代、サイパンとテニアンでは、南洋興産という製糖会社が成功を収めました。島のいたるところにサトウキビ畑が切り開かれ、今よりずっと栄えていたといいます。太平洋戦争で激戦地となり、玉砕の悲劇に至ったのは知られるところです。
サイパンといえばバンザイクリフが有名ですが、テニアンにも同じくバンザイクリフと呼ばれる崖があります。眼下には、吸い込まれそうに美しい群青色の海が広がっていました。サイパンよりも崖から海までの距離が短く、飛び込んだ多くの人々が死にきれず、最後はサメの餌食になったのだそうです。
マンハッタンと呼ばれた理由
バンザイクリフのある島の南端は、カロリナス台地と呼ばれる高台になっています。地図で見ると、その地形は、どこかニューヨーク、マンハッタンの南、ロウアーマンハッタンあたりに似ています。だからでしょうか、テニアンに本土爆撃のための基地を建設した米軍は、テニアンのことをマンハッタンになぞらえました。
島を南北に縦断する道路は、ブロードウェイと名づけられました。真ん中で交差する東西の道は、フォーティーセカンド・ストリートです。
それにしても、なぜマンハッタンなのでしょう。
島の北部は、住む人もなく、ブロードウェイには行き交う車もありません。茫漠たる風景とマンハッタンという響きのギャップを考えながら、私は、あることに気がついたのでした。それは、米軍の原爆開発計画が「マンハッタン計画」というコードネームで呼ばれていた事実です。そう、原爆というキーワードで、テニアンとマンハッタンはつながるのです。

島の南北を貫くブロードウェイ。原爆の運ばれた道でもある。
原爆が飛び立った滑走路

記念碑には原爆の写真が。こうしてB29に搭載された

原爆積荷場跡の記念碑
1945年、ついに完成した原爆は、最後の工程を残して、船でテニアンの港に到着しました。そして、ブロードウェイを北に運ばれたのです。
島の北部には、現在、たまに演習が行われる米軍のハゴイ空軍基地があります。太平洋戦争中は、ここが日本本土爆撃の拠点になっていました。

原爆の組立工場跡地
最終組み立てが行われた工場跡地は、空軍基地の敷地内、何の表示もなく、地図にも記されることなく、生い茂った潅木の先にありました。場所を知っていたのは、現地の観光局に勤める女性でした。建物は、終戦後、秘密保持のために撤去されたのでしょう。それでも見取り図のような土台は、はっきりと見て取れます。

旧日本海軍司令部の中に残るトイレの残骸
工場跡地のすぐ近くには、原爆の搭載された爆撃機が飛び立った滑走路がありました。
滑走路の彼方は太平洋。その先に広島と長崎があったかと思うと、複雑な気持ちになります。
瞬間、強い海風が吹き抜けていきました。
島の北部には、旧日本軍の戦跡も多く残されています。滑走路の近くにある旧海軍司令部の建物は、廃墟となってもなお、威風堂々とした存在感を示していました。

神殿のような厳かさでそびえる旧日本海軍跡
カジノホテルと基地移転
基地の建設は2014年の着工、2016年の完成が予定されています。グアムでは定員の半分も収容しきれないため、テニアンに宿舎が建設されるのです。
影響は、すでに始まっていました。これまで独自に行われてきた入国管理を本土並みにしようという方針です。軍が常駐することになる場所に不都合な輩が入国するのは問題というのがアメリカの言い分です。今年の六月から実施の予定でしたが、最近のニュースによれば、暫定的に180日の延期が決まったそうです。
サイパンでもテニアンでも、人々は寄るとさわるとこの話題。誰もが不安そうに顔を曇らせます。アメリカ入国にビザを必要としない日本人や韓国人は問題ありませんが、最近、増加している中国やロシアの観光客はビザが必要になります。労働力の大半を占めるフィリピン人も働けなくなるかもしれません。観光業は唯一の産業なのです。
テニアン随一のホテルは、中国資本です。

カジノがある中国系の大型ホテル、テニアン・ダイナスティ・カジノ&リゾート
十数年前、香港返還時の土地買収で成功したオーナーが夢見たのが、南の島のカジノホテルでした。目をつけたのはアジアから近く、中国人でも入国の容易な北マリアナ諸島。住民投票の結果、カジノの誘致を承諾したのがテニアンだったのです。
小さな島には、およそ不似合いに思える巨大なカジノホテル。でも、島のたどってきた運命を思うと、そうしたホテルがここにあることも、不思議ではないような気がします。この島は、何もなかったがゆえに、さまざまなものを受け入れてきたのですから。
米軍上陸のビーチで思うこと

米軍の上陸があったランディングビーチ。現地ではチュル・ビーチとも呼ばれる
太平洋戦争中、米軍が上陸したポイントは、島の北部にあって、星砂のビーチでもあります。夕陽の名所と聞いて車を走らせました。
スコールが通り過ぎたばかりの空は、まだ黒い雨雲が残っていて、雲の狭間から黄金色の太陽が、熱帯の強い光を放っていました。砕ける波に反射して、人気のないビーチを神秘的な色に染めていきます。
サイパンやテニアンは、ギネスブックに載るほど、年間の気温の変動がないのだそうです。熱帯の島でも、たいていは、とても暑い時期と、少し涼しい時期というメリハリがあるものですが、ここは文字通りの常夏の島。そうした気候は、時間の感覚が曖昧になるといいます。
黄金色のビーチに佇んでいると、戦争は、つい昨日のことであったように思えてきます。熱帯の草木に埋もれるいくつもの戦跡を見たからでしょうか。
米軍基地が完成すれば、自由な立ち入りは出来なくなるでしょう。旧日本軍の足跡、原爆の記憶。それらが、封印されてしまう前に、テニアンに出かけてみてはいかがでしょうか。期限はあと五年です。
週刊新潮2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号
巻頭グラビアページ「2万円でいける楽園サイパン」取材文掲載
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。旅とホテルをテーマにノンフィクション、小説、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。




2009/6/9(火)19:11
宮本 衛さん
コメントありがとうございます。
私は寡聞にしてテニアンのことも、そこで日本軍の玉砕戦が行われたことも知りませんでした。テニアンを訪れられましたら、また何かお便り等いただけましたら幸いです。
2009/6/9(火)14:05
父の従兄がテニアン島で戦死しております。松本50連隊の第3中隊長で、
若干26歳の若さでした。いつかは行ってみたいと思っておりました。今年は仕事の都合で行けませんが、来年は行ってみて、自分の目で見ておきたいと思って
います。ありがとうございます。
2009/5/14(木)10:04
かずさん、ありがとうございます!
「マンハッタン計画」の「マンハッタン」とは、単なるコードネームであったといわれますが、実は、開発者のオッペンハイマーがニューヨーク・マンハッタンの出身であったり、初期の実験が主にコロンビア大学で行われていたり、原爆は、ニューヨークのマンハッタンとも浅からぬ縁があったようです。ミクロネシアの小さな島テニアンとニューヨークのマンハッタン、似ても似つかない二つの島を結ぶキーワード、それが原爆というわけです。
南の島の知られざるストーリー、これからもレポートしていきますので、楽しみにしていてください。
2009/5/13(水)15:21
かずさん
コメントありがとうございます。私もマンハッタン計画はそのように思っていました。「何もなかったがゆえに、さまざまなものを受け入れてきた」というところが、なんとももの悲しいですね。
2009/5/12(火)07:55
アメリカの原爆製造が、「マンハッタン計画」と呼ばれていたけど、ニューヨークのマンハッタンだと思っていました。サイパンの島であったこと、ここで原爆が組み立てられ、広島、長崎に飛び立ったことなど、はじめて知る話ばかりで、そうだったのか、という感じでよかったです。