びお・七十二候

麦秋至・むぎのときいたる

2009年05月31日 日曜日

麦秋至

麦秋至と書いて、むぎのときいたると読みます。麦が熟して畑一面が黄金色になる時節をいいます。
初夏に畑一面の黄金色をみるのは不思議な感じがあって、収穫の秋という思い込みがあって、戸惑いを感じたりします。「あき」とは、この場合「百穀百果」の成熟・収穫のときをいいます。つまり、季節の秋は、第二次的なものなのですね。
麦秋は、梅雨がやってくる前の一瞬の輝きとされ、これを「麦秋」(ばくしゅう)と呼びならわしたところに、日本人の感性のよさがあるように思います。

麦秋といえば、小津安二郎監督による映画『麦秋』が思い起こされます。1951(昭和26)年の作品です。
鎌倉の古い家が舞台でした。丸の内の会社に秘書として勤める婚期の遅れた紀子(原節子)
が住んでいて、兄(笠智衆)、兄嫁(三宅邦子)、父(菅井一郎)、母(東山千栄子)と、兄夫婦の小学校低学年の二人の子供が同居している住まいで、今では考えられないほどの大家族ですが、当時はめずらしいことではありませんでした。
適齢期を過ぎた紀子に縁談が舞い込みました。相手は40才を過ぎた商社の常務で、四国の旧家の次男でした。この縁談話があって、紀子のこころに眠っていた感情が呼び起こされます。近所に、妻を亡くした子持ちの貧乏医学者(二本柳寛)がいて、彼の母(杉村春子)がいます。自分は、この近所の貧乏医学者にひかれていることを自覚します。貧乏医学者の家を訪ねた紀子は、その母親(杉村春子)から「あなたのような人を息子の嫁に欲しかった」と言われ、紀子はそれを受け入れます。金持ちとの縁談を捨てようとする紀子に家族は反対しますが、紀子は「もう決めたことだから」と言って譲りません。根負けして、最後には家族も了解します。
ふだんは恥ずかしがりで、おとなしい紀子が、「もう決めたことだから」と毅然というその姿が美しくて、原節子という女優がすくっと立っています。これがいいのですね。
紀子の結婚を機に両親は隠居することになります。両親(菅井一郎と東山千栄子)は、ボソボソと、これまでの人生の来し方を語り合います。その向こうに麦秋がありました。
『東京物語』もそうですが、小津安二郎の映画は、だいたいこんなストーリーが多いのです。劇的な場面があるわけでなく、感情の動きや気持の移ろいを丹念に描きます。

麦秋を詠んだ句は数限りなくあります。

麦秋や何におどろく屋ねの鶏[与謝蕪村]
雨二滴日は照り返す麦の秋[高浜虚子]
麦秋や蛇と戦ふ寺の猫[村上鬼城]
麦秋や葉書一枚野を流る[山口誓子]
小降りして山風のたつ麦の秋[飯田蛇笏]
麦秋の雨のやうなる夜風かな[田中冬二]
麦秋や乳児に噛まれし乳の創(きず)
[橋本多佳子]

きょうは、安永蕗子(やすながふきこ/1920年〜)が歌った、

麦秋の村すぎしかばほのかなる
火の匂ひする旅のはじめに

という短歌の麦秋を取り上げます。
安永蕗子は熊本の人で、大病を患った後に短歌を始めた人です。20代の終わりで結核を患い、7年ほど闘病し、短歌を始めたのは30代半ばでした。その年から始めて、歌壇の最高賞とも言われる迢空(ちょうくう)賞など多くの受賞歴を持つ女流歌人です。
安永は「日の常を詠む」ことを身上とします。日とは太陽です。日の常とは、朝に太陽が昇って、夕べに西に落ちるまでをいいます。「人間はこの常がなければ生きてはいけない」と安永はいうのです。それを三十一音の「五七五七七で詠む」のが短歌で、「日の常」が宇宙の摂理であるように、五七五七七で詠むことも摂理にしたがうことだといいます。

極北におく星白く乱れつつ
眼潤むといふこと悲し

卵黄にたつ血紅もいやしまず
愛にたくらむことある朝は 

かなしみはとめどなけれど明日はかむ
足袋は火鉢の火に乾きゆく

つきぬけて空しき空と思ふとき
燃え殻のごとき雪が落ちくる

朴の花白く大きく散る庭に
佇ち茫々と生きねばならぬ

蘇りゆきたる痕跡のごとくして
雪に地窖が開かれてゐつ

永らへて享けし孤独と思ふとき
天譴のごとき白き額もつ

どれも安永の感情が溢れ出ている歌です。安永は、「大和言葉の伝統と漢語の素養」を持った歌人といわれますが、これらの歌を詠むと、なるほどと納得させられます。
安永は、「短歌は啖呵(たんか)だ」といいます。

麦秋の村すぎしかばほのかなる
火の匂ひする旅のはじめに

この句にいう「火の匂ひ」とは、心中の決意を意味します。この句は、安永蕗子の第二歌集『草炎』の巻頭句です。自分は旅人であるというのですが、ここでいう旅は、孤独への覚悟を意味します。つまり、そこにかかって「火の匂ひ」があるのです。
この歌集の巻頭句は二つあります。

露おきて花野のごときあかつきに
あはれ闘ふ意志ゆゑに覚む

この歌人の覚悟がひしと伝わってくる歌です。この歌集の白眉は、

母の遺骨もちて旅ゆくかすかなる
母の韻きは風にまぎれず

という歌です。この世のすべてのものは風に流れてしまうけれど、「母の韻きは風にまぎれず」と歌うのです。

俳句

紅花栄

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