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玄界灘に浮かぶ対馬に、 古代の森と、今の森を見に行く

2009年04月20日 月曜日
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対馬その一

その一

対馬プロペラ機プロペラ機に乗って長崎空港から、プロペラのポンバルディア機に乗って対馬に入りました。
プロペラ機は、フィンランド奥地のイナリや、ユトランド半島のオールボーなどの町に向かったとき、よく乗ったものです。オールボーのアクアビットは46度にもなるお酒で、下戸のわたしにはキツイお酒でした。
さて、今回の対馬行のプロペラ機に乗り込んだのは、秋山東一さん、輝星建設の平山耐社長、長崎県林務課の富田浩文氏、それからわたしと、「びお」副編集長の佐塚昌則の5人でした。小さな飛行機なので、まるでチャーター機のような感じでした。
今回の対馬行は、対馬檜(対州檜)の山を見学することが主目的でした。
国交省の地域住宅推進事業で、長崎市内にモデル住宅を建築する計画があり、県産材を使おうということで持ち上がったのが対馬檜の利用でした。長崎県は、九州の例外にもれず山の多い国ですが、持続的に供給可能な建築用材となると、これがなかなかきびしいのです。
「対馬ならある」、と平山さんがいいました。
「え、ツシマって、あの対馬山猫のツシマ」と聞き返しましたら、「そうだ」といいます。
かくして、われわれは対馬を訪問することになりました。

民俗学者宮本常一と対馬

対馬は89%が森林で覆われた島です。宮崎の綾とならんで、日本有数の照葉樹林帯の島ですが、人工林も36%を占めています。
人工林は、戦後の「造林臨時措置法」によって植林されたもので、そのことを、当時、島内踏査に来ていた民俗学者の宮本常一(1907~1981年)が、『私の日本地図――壱岐・対馬紀行』に書いています。

「島で植林事業は容易に進まないのだが、対馬はやがて林業王国として記憶されるようになるだろう」

植林が「容易に進まない」のは、この島の地形にあると宮本常一は記します。

「この島は遠くからみると高さがほぼ一定してテーブルのように見える。しかし島内に入ってみるとほとんど平地がなく、二、三百メートルくらいの尾根がつづき、また支脈を出し、山と谷で埋まった島といっていい。そのうえ地質は頁岩(けつがん)と粘板岩(ねんばんがん)が多く、頁岩には無数のヒビ割れがあって水持ちがきわめてわるく、谷底以外に田をひらくことができない。そのうえ山の傾斜が急なため、山地を利用して畑をひらくこともむずかしい。したがって山間に住む者はほとんどなく、谷間や海岸に住んでいる。その海岸は陸地が沈降してできたために、溺れ谷が多く、フィヨルドのような深い入江をいたるところに見る。とにかく山坂ばかり多いところだから昔は島内に平坦な道はほとんどなく、その道をあるいて往来したものであった。しかし周囲を海に囲まれているので、船をできるだけ利用して往来することの方が多く、そういうことから、陸路の発達がさらにおくれることになった」

この記述を読んで分かることは、宮本常一という人は、やはり『旅する巨人』だということです。こういう人がいた、というだけで、わたしは感動します。
宮本は、道路が整備されていない島内をくまなく歩きます。そして、この島と、この島の人たちが行っていることを丁寧に書き記しています。
歩いて調べる、ということでは、伊能忠敬か宮本常一の二人に尽きるように思います。宮本常一は、生涯4000日以上を民俗調査に費やしたといわれますが、司馬遼太郎は「日本地図の上を空気のように動くが如く、歩いて歩いて、歩き去りました。日本民族と日本の山河をこの人ほど確かな目でみた人はすくない」と評しています。
その司馬遼太郎の『街道を行く』にも「壱岐・対馬紀行」篇があります。冒頭、空港から厳原までのタクシーの運転ぶりを、憤懣を込めて書いていて、その冒頭からして、司馬にしてはつまらぬ紀行文でした。殊に「対馬」の記述に関しては、失望した、というのが正直なところです。
司馬の『街道を行く』は、本人が現地に赴いてみたものと、あとは文献から引っ張ったものが多くて、宮本のような、執念を感じさせる取材に欠いています。司馬の紀行文は、独得の史眼があっておもしろいのだけれど、「対馬」を書いたものはダメでした。

宮本常一を貫いていたのは「経世在民」ということだろう、と思います。最近では、アフガンで尽くしている中村哲さんがそういう人で、足尾鉱毒事件に奔走した田中正造もそういう人でした。宮本は、旅をすると、その土地と結縁するというか、その土地を背負い、わが事のように考える人でした。
それは何より、宮本が書いた文章に表れていて、文は人なりといいますが、宮本の文章ほど地を這うように書かれたものを、わたしは他に知りません。天竜川の奥地を書いても、下北半島を書いても、芸予の海を書いても、宮本は地域応援者の視点から、虫が這うように歩き回って、そうして文章を綴りました。写真もよく撮りましたが、その写真はどれも即物的なもので、意味ある写真ばかりで、およそ余分ということがありません。
対馬で戦後植林の現場をみた宮本は、この島の地形を考慮するなら、対馬の人たちが行った植林は途方もないもので、この島の人は「底力をもっている」と評価します。
この植林によって、対馬は古代の森と、今の森を持つ島になりました。
そして、今の森はようやく伐期をむかえ、これから対馬は、宮本がいう「林業王国」の道を歩むことになるでしょう。
その時機に対馬を訪問できたことを、とてもよかった、とわたしは思っています。

頁岩(けつがん)の石垣と、石置屋根の小屋

対馬石垣

対馬の建築で、これはと思ったのは、厳原の旧武家屋敷の石垣でした。
山口の萩と、宮崎の飫肥(おび)を思わせる石垣の連なりがありました。
この石垣は、島のいたるところにある頁岩を横積みにして造られたものです。建物本体があまりにみすぼらしいので、その目隠しとして、この石垣が築かれたという話ですが、素朴な味わいのある石垣でした。
対馬石垣2対馬は、鎌倉時代から明治まで同一の領主宗氏が支配していた島です。中世、近世を通じて同一の領主であった例は、薩摩の島津、肥後球磨の相良、肥前平戸の松浦、陸奥の南部など数えるほどしかありません。これは、朝鮮使節の受け入れが影響したものと考えられます。あまりコロコロと変わったのでは、外交の継承性が得られませんので、宗氏は、秀吉にも家康にも信任されていたようです。
その宗氏のお墓が厳原の万松院という寺にありました。桃山時代に建立された山門があって、立派なお寺です。墓所は、周囲を老木が生い茂った、百段を超える石段を登った上にありました。この石段も頁岩が用いられていました。
対馬イカ釣り漁船次に向かったのは、対馬材を積み込む久田港でした。
水イカの季節なので、港にイカ釣り船が停泊していました。車中、ご案内いただいた対馬林業公社の狩野さんから、対馬は日本のイカ釣りの先駆け的存在だという話を聞きました。今でも対馬は、北海道に次ぐスルメの産地だそうです。ほかの魚の漁獲も多く、釣り人にとって対馬は垂涎の的で、根付きの尺もののアジや、高級魚の赤ムツがよく釣れるそうです。春になってウニ漁が始まりました。ここのウニはいいと長崎の平山社長は言います。夜の交流会のとき、ウニも出され、なるほど美味でした。
対馬森林組合の扇組合長から、一に水産、二に農業、三、四がなくて五に林業という話を聞きました。沿岸漁業は、山から流れ出る滋養なくしてはあり得ないので、もし対馬の漁業が盛んなら、それは山が豊かだからです。対馬は、まさに「魚つき林」の海なのです。
石置屋根01

さて、対馬の建築でユニークなのは、石置屋根の小屋でした。
対馬の集落は、平地が少ないことから、海岸近くのわずかな土地に住宅が密集しています。明治前には瓦葺きは許されていなかったので、どの家も茅葺き屋根でした。もし一旦火事があったら集落中が焼けてしまいかねません。そこで、住居が火事に遭っても、食料や衣類、什器類を焼失から免れるため、住居から離れたところに小屋を設けました。それが石置屋根の小屋です。石屋根に用いられた石は、やはり頁岩です。
翌日の会合で、対馬林業懇話会吉田寛会長から聞いた話では、石置屋根は台風対策でもある、という話でした。五島列島から対馬に掛けては台風の通り道で、その風は半端なものではありませんでした。尤も、最近の台風は進路が外れるものが多くなったということですが……。
小屋の大きさは、間口三間、奥行き二間の6坪程度。外壁の回りに二尺五寸ほどの板の縁があり、その板材は松。柱材は照葉樹林の島ということもあって、椎の木。室内は区切られていて、米倉、麦・雑穀倉、衣類・什器倉を置く部屋に分かれています。
床は2.5尺程度の高床で、それは水害から小屋を守るためでもありました。対馬の地勢は、傾斜が急な山地が多く、大雨が降ると水害が生じました。
石置屋根の小屋を見ていたら、一人の老婆が草むしりに精を出していました。乳母車に草むしりの道具が載っていて、道路わきに這い出てくる草を丹念にむしっていました。冒頭のスナップは、そのおばあちゃんが一休みしているところです。
「おばあちゃん、精が出ますね」
と声を掛けたら、中学生の女の子のように、はにかんで、ほほえみを返してくれました。
(続く。4月25日更新の予定)
石置屋根02

[文/写真/小池一三]

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  1. トラックバック from:BLOWIN' IN THE WIND

    2009/4/27(月)16:00

    最近読んだ本

    最近読んだ本2冊です。左は大学の頃の民俗学の先生、宮本常一さんの壱岐・対馬に関する自然と歴史、生活や風俗、習慣などを、昭和25年以来の調査を基にまとめられた一冊。宮本さん…

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立春といわれても、まだ冬だよ、といわれる寒波がこの列島を襲っています。けれど、日脚を見ると一日一日伸びていて、木々を見ると芽吹いていて、なるほど立春なのだ、春は立っているのだと思います。

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