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続・ソメイヨシノだけが桜ではない

2009年04月11日 土曜日
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散る花を惜しんで、今夜は桜湯

散る花を惜しんで、今夜は桜湯

桜前線

新しく開始した「旬ナビ」では、節気に合わせて前線地図を載せています。清明の前線地図は桜でした。次節はモンシロチョウの予定です。
桜前線の開花予想は、現在、主として気象庁・日本気象協会・ウェザーニューズ社の三機関が行っています。
今年の開花予想が当たったのは、気象協会とウェザーニュースで、気象庁は二年連続最下位の成績です。民間に完敗というところです。
気象庁の開花予想の観測地点は、全国68ヶ所です。ソメイヨシノを主に観測対象としていますが、北海道の東部・北部はエゾヤマザクラ及びチシマザクラ、沖縄・奄美地方は、寒緋桜が対象になっています。
ホームページで開花予想を発信している桜前線研究所は、全国48の主要都市の観測地点(ソメイヨシノ)を対象として、「積算気温追跡法」による桜の開花予想法を行っています。2月1日を起点とし、積算平均気温のグラフを毎日追跡しながら開花予想していますが、同研究所の開花予想は2006年から開始され、今年で4年目になります。

ウェザーニュースは月曜日に、日本気象協会は水曜日に、気象庁も水曜日に開花予想が発表されており、桜前線研究所は、毎日行っています。

ソメイヨシノは散るのが早くて、華やぎはさっと通り過ぎて行きます。
このホームページは、ソメイヨシノだけでなく、早咲きの河津桜や玉縄桜をはじめ、三春滝桜 淡墨桜 荘川桜なども追っています。吉野の上千本はこれからですし、桜は、まだまだ楽しめます。

日本気象協会 さくら情報
http://tenki.jp/sakura/

桜前線研究所
http://www.sakurazensen.com/

ウェザーニュース さくらch.
http://weathernews.jp/sakura/

日本列島は南北に長い

sakurayu02日本列島は、最北端の宗谷岬から南の八重山諸島まで、北緯24度から45.5度まで、延々3000キロにもわたって長く連なる列島です。大小3700以上の島々によって構成されています。火山による隆起沈降、海流による影響を受けて、湾と入り江による複雑な海岸線を持ち、そして幾多の山脈が連なり、国土の3分の2は森に覆われています。その森から運ばれる滋養は沖積平野に運ばれて農を育み、また海へと運ばれて沿岸漁業を生んでくれます。それは実に多様な豊かさを持っていて、四季の巡りに応じて「旬」を提供してくれます。
北海道・本州・四国・九州の主要4島だけで、ヨーロッパでみると、スウェーデンのストックホルムから、スペインのマドリッドまでの距離に匹敵します。つまりそれは、ヨーロッパを縦断する距離です。
最近の歴史学講座を読むと、南北に長い列島の性格が、日本人の性格を形成したという論が展開されています。その論によれば、ヨーロッパでは、氷河期のような低温期に入ると、北方民族は飢饉に陥って食料を求めて南下したけれど、彼らはアルプス山脈に阻まれて、そこで血で血を争うことになったといいます。ヨーロッパの分割はその産物だというのです。これに対して、日本列島は南北に障壁がなく、たやすく南下できたので、そうした争いは生じなかったというのです。
もし日本人のたおやかなる性格が、そうして決められたとしたなら、なかなかいい話だと思いませんか。と同時に、自生する豊かな森と、その滋養によって育てられた産物の存在も大きかったと思います。そのとき、季節に応じて花は咲いていただろうけれど、それを当時の日本人が愛でたかどうかというと、それは何ともいえません。というのは、美しいという観念は、文字を手に入れて育つものだからです。つまり美しい、美しくないは観念なのであり、それを決めるのが文化だというのです。
けれども、自生する原始の花たちは、荘厳なまでに美しかったでしょうね。
今週、わたしは建築家の秋山東一さんたちと、長崎県の対馬に渡ります。この島は照葉樹林の島として知られます。原始時代の日本は、多分こんな姿だったのでは、ということが感じられる島だそうです。そこに体長1メートルにもなる対馬山猫が生息しているというのですから、とても興味を惹かれます(対馬レポートは、次々回更新にて行います)。
大事なことは、花(桜)は一様に咲くものではないということです。会津や米沢あたりの桜はこれからだし、秋田角館や、弘前の桜はゴールデンウィークのあたりが満開だし、北海道の桜は、まだその先です。
桜前線もいいけれど、この列島のどこかでいつも花が咲いていると思うのが楽しいと思います。この列島は「前線」だけで測りきれない多くの特殊を持っていることを、いろいろ知る方がいいと思いませんか?

sakurayu03びお旬ナビ」を始めるにあたって、そんな自戒を持ちながら綴りたいと考えています。
というのは、ある時期のあるものだけを取り上げて「旬」だというのは、実はとても危険なことです。ある場所では旬であっても、ある場所の旬はかなり先であったりします。「びお旬ナビ」では、それを読者の人たちにカバーしてもらって、自分のところでは今こうだよ、という通信を送っていただければ、と思っています。そのことで、多様・多元な世界が繰り広げられます。
そんなわけで、「ソメイヨシノだけが桜ではない」にコメントをいただいたKさんには感謝しています。多様・多元性は、人のこころの中にも宿っており、それを裁断していいわけがありません。それは分かっていたつもりなのですが、ひとまずソメイヨシノを「敵視」しないことには、今の流れに棹差せないように思われました。別にソメイヨシノが親の仇でもないのに、何だか「激」してしまいました。お許しください。
大切なことは、「旬」はいつも、「ただいま、ここで」ということだと思います。

万葉の桜

桜の話を続けます。
桜前線(ソメイヨシノ)的には、南から桜散る季節を迎えました。桜が散ることを散華という言葉で表現する場合があります。この散華という言葉には、仏教の無常観があり、この国には、儚さを美しく感じる風土がありますが、戦前、それが死の観念と結びついたとき「散るのは覚悟、見事散りましょ国のため」(『同期の桜』作詞/西条八十)の花へと「散華」されてしまいました。この「散華」こそ、桜の姿だとみる見方がありますが、散るのを惜しむのが、万葉以来の桜に寄せる思いなのではなかったかと思われます。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

紀貫之の従兄で、三十六歌仙の一人、紀友則が詠んだ歌です。「ひさかたの」というのは枕詞です。日の光がやわらかな、おだやかな日和なのに、何故、桜の花は散るのだろうというのです。「散るのは覚悟」ではなく、散るのを惜しんだのが平安のこころでした。
この歌を、現代人はソメイヨシノに重ねる人が少なくないでしょう。でもそれは違います。繰り返し書いているように、ソメイヨシノは明治以降の桜です。平安時代には咲いていませんでした。
この歌は、『古今集』に出てくる歌というより、定家が編んだ『百人一首』でお馴染みの歌です。

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし

これも『百人一首』に出てくる歌です。
場所は大峯山、作者は行尊(ぎょうそん)です。
実はこの歌は、わたしが最初に覚えた短歌でした。お正月に歌留多遊びをしていて、少年のこころに、なぜか留まった歌でした。山の中で一人夢見て咲いているのが山桜なんだ、と思いました。
山の中に一本だけ咲いている桜をみると、今でもこの歌が思い起こされます。

葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢う心地する[西行]

これは、40歳を過ぎてから知った歌です。
山桜は葉が出てそれから花が咲くので、西行は、葉隠れということばをあたまに持ってきました。ソメイヨシノは、人ごみの花見に似合う花ですが、山桜はひっそりと、だれ知ることなく咲いている花です。
ソメイヨシノをそんなふうに決めつけるのはやめて、まだこだわっているの、と言われるかも知れません。ソメイヨシノも静けさのなかで観ることもあり、深くこころに残ることもあるでしょうが、概していえば、ソメイヨシノは人ごみの花見に似合う花だと言えるのではないでしょうか。
民俗学者の折口信夫に『花の話』という一文があります。
その中に、万葉人は桜の花で稲の実りを占ったので、花が早く散ったら大変だという記述があります。折口によれば、桜は花見の対象ではなく、生産と結びついて存在していたというのです。種蒔桜という名の桜があるのは、その名残りなのかも知れません。

会津高田の薄墨桜

春の会津高田を訪ねた折に、神話時代に起源を遡るという伊佐須美神社(いさすみじんじゃ/現会津美里町)の薄墨桜を見に行きました。参道に朱の大鳥居が立ち、南にはあやめ池があって、たいそう立派な神社でした。そういえば、『文芸春秋』によく広告が出ている神社だと、そのときはじめて気づきました。
ここの薄墨桜は、神社のご神木であり、桜の巨木が多い会津の中でも、五桜の一本に数えられています。

花は八重に一重も交わり、咲き始めは薄墨を含んだ白色から次第に紅色を帯び、散るころには中心部が濃い紅色になります。普通の桜よりも遅れて咲き、毎年4月29日に、この桜樹の霊をまつる花祝祭が行われ、この花を入れた餅をついて祝うそうです。

伊佐須美の杉の木立の森厳に齢を保つ薄墨桜

幕末の会津藩主、松平容保(かたもり)の歌です。この人は、この歌から知る限り多分に文人だったと思われ、およそ武の人ではなかったように思われます。そこに容保の悲劇があったのでは、と勝手に解釈しています。
この薄墨桜は千歳桜で、種蒔桜です。
伊佐須美神社の近くには、「米沢の千歳桜」という有名な桜もあります。この桜はまさに種蒔桜で、この桜の開花を見て作物の種を蒔く時期を決めたといわれます。田園地帯の中にたった一本立っている桜です。

usuzumi chitose
左:薄墨桜 右:千歳桜
写真は会津美里町公式サイトより
http://www.town.aizumisato.fukushima.jp/9,5208,69,69.html

飲む桜湯ではなく、入浴する桜湯

飲む桜湯は、春の季語です。
祝い事があるとき、茶を忌んで桜湯を出します。桜漬ともいいます。牡丹桜の花弁を塩漬けしておいて、貯えておいたものに熱湯を加えます。
茶碗の中で、桜の花が美しく開きます。

桜湯を含めばとほる山がらす[飯田龍太]

飲む桜湯の作り方
http://me-to.blog.so-net.ne.jp/2006-04-30

きょうここでご紹介するのは、飲む桜湯だけでなく、入浴する桜湯です。そう、バラ湯のように桜湯をたのしもうという趣向です。できれば、飲む桜湯と同じ牡丹桜がいいのでしょうが、ソメイヨシノでも結構です。
お花見のときに、サクラの花びらを拾い集めておいて、お風呂の湯船に浮かべようという試みですが、お風呂が、ほんのりしたサクラの香りで包まれます。
この桜湯で気をつけたいのは、お湯を抜くときです。桜の花びらを取り去ってから、お湯を抜いてください。

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  1. koikeさんからのコメント

    2009/4/15(水)04:39

    igaさん、ありがとうございます。昨日、一昨日の雨と風で、花(ソメイヨシノ)散る地域が多かったのだろうと思い、それがなければ春を通過したことにならないと思う日本人が多数を占めると思います。わたしのようなことを言っているのは、あくまで少数派に過ぎません。サクラチルは、一種の浄化作用があるわけで、その年中行事だけで満足しているのは損なのでは、ということで書いたのでした。

  2. iGaさんからのコメント

    2009/4/12(日)11:51

    まぁ、染井吉野と云う同じ遺伝子をもつクローンだったからこそ、それが同一尺度となり、桜前線の開花予想で季節の訪れの差を身近に感じることができるのではないでしょうか。また「長屋の花見」じゃないけど数少ない大衆の娯楽に寄与している染井吉野はその生存目的がはっきりしているだけに、逆に哀しみも背負っているような気もします。カタカナで「ソメイヨシノ」と敵視するのも、自生する原始の花たちを荘厳なまでに美しかったと思うのも、私が染井吉野に哀れみを感じるのも、まぁ人間の身勝手でしょうね。
    因みに、私の祖先は嘉永年間から祖父の代の大正半ばまで伊佐須美神社の神職を務めておりました。会津の総鎮守・伊佐須美神社は代々会津藩主松平家の当主が氏子総代を務めておりますので、容保公も度々訪れていたものと思われます。

  3. takaiさんからのコメント

    2009/4/11(土)19:42

    間違えて、七二十二候の方に投稿してしまいました。

    おもしろい発想ですね。今夜、早速試してみます。

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立春といわれても、まだ冬だよ、といわれる寒波がこの列島を襲っています。けれど、日脚を見ると一日一日伸びていて、木々を見ると芽吹いていて、なるほど立春なのだ、春は立っているのだと思います。

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