設計のみつくろい
北窓開く(畦上圭子)
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「北窓開く」は、春の季語である。
何故、「北窓開く」は春の季語なのか? それは天空の変化を受けてのことである。
春になると、太陽高度があがる。太陽の光量は、照射角が90度に近いほど面積あたりの受光量は大きくなる。つまり、春になると照射角度が高くなって、冬の間は建物の陰になっていた北側の地表にお日様が当たるようになるのである。

季節による太陽高度の違い
北窓を開くと、北側の地表、そこに樹木があれば春の陽光が注いでいて、葉の一枚一枚に至るまでよくみえる。即ち、順光の庭が生まれるのである。
北窓を開けて身近かき藪雀[高浜虚子]
さすが虚子の句だと思うが、この国の伝統的な暮らし方がそこにある。
南側の窓からだと、こうは行かない。みえる景色は逆光である。眩しくて、チカチカしてよくみえない。春の北側の窓は、春の到来をしみじみ感じることができるのである。
最近の家は、部屋につながる北側の窓がない家が多い。家の北側というと、トイレや洗面、階段の踊り場やキッチンからの小窓や換気扇、あるいは空調のための室外機などが目立ち、それは開放形ではなく、閉鎖形である。生前の宮脇檀が「今の住宅は北側が汚い」と言ったことがある。それは今でも変わっていない。

北側には排気口や設備類が並ぶ
北側に庭を配するには、土地がそれなりに広くなければならないわけで、敷地いっぱいに建てざるを得ない土地ではムリな話かも知れない。けれども、北側に接面道路がある場合は目隠しの樹木を植えたりする。そこに背中から(つまり南から)陽があたれば、それは春には陽の庭になる。もしこの樹木の手前に草花を植える余裕があれば、草花はイキイキとしてみえるだろう。

これは、京都東福寺の重森三玲の作庭によるものである。
昔から、観賞用の庭は北側に配すべきといわれるが、生活の庭としても、北側の庭を考慮したい。南側に樹木が立ちはだかっていると、その前に草花を植えても日陰になってしまう。南の窓は陽に溢れていると思いがちであるが、植物が光に向う性格を持つ以上、実は樹木、草花の裏側をみていることになるのである。
北側の窓が今のようなことになったのは、建物に空調が導入されて、通風のため北側の窓を開く必要がなくなったからかも知れない。また暖房効果を考えると、北側を閉じた方がいいからかも知れない。しかしそれによって、建物の北側は表情が乏しくなり、自然の変化を呼び込めなくなったのである。
太陽高度が変化することにより、四季の変化が生じる。
四季は、地球のどの地域にもあてはまることではない。赤道を挟む熱帯地域では、太陽は真上に出るのを最高点として、その前後に移動するため、寒冷になる時期がなく、冬が存在しない。即ち、低緯度の国や地域では、常夏の状態となるのである。1年の周期でみると気温が上下したり、1年の中に雨季、乾季の違いがあることがあるが、四季を織り成さない。
また、高緯度な国や地域 では、夏は白夜、冬は極夜になって、四季を織り成さない。
この国に住む歓びは、織り成す四季を居ながらにして味わえることである。
春の陽射しの輝きを樹木や草花にみたかったら、北側に窓を開ける家をつくろう。
京都東福寺写真:wikipediaより






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