特集
私たちは、近くの山の恵みを活かして、地域らしい表情を持った家を建ててきました。
- 小
- 中
- 大

輝星建設 モデルハウス
遠景に山があり、中景の里山と、田んぼや畑と、近景の民家と人と庭にいる鶏などの風景は、谷口六郎が描くところのよき農村の姿です。この風景のパースペクティブを、近頃の日本は失っています。
東京町田の可喜庵亭主ブログが、近くの鶴川村能ヶ谷にあった白洲次郎の旧居「武相荘」の隣りにユニクロのショップが建ち、見るも無惨になった写真を載せていて、ここは一面に畑が広がっていたのだと可喜庵さんは嘆いておられますが、このような光景は、もう日本全国に見られることで、遠景・中景・近景が、ずたずたに断たれているところに、日本の景観の問題があります。
建築は、その本質に破壊を伴っていることを、松山巌は『住み家殺人事件』(みすず書房)で書いています。
「建築を新たにつくることは、近代に入ってテロリズムの色彩を強めている。なぜなら、それ以前の時代とくらべれば驚くほどの短時間に周辺環境を変え、人間関係を変えてしまうからだ。ひとつの建物は圧倒的な存在感をもつ。ひとりの人間では立ち向かえない。その建物が挨拶もないかのように建設されれば、暴力的な事態と感じる人も多いはずだ」
ローカルの解体は、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設によって拍車が掛かっています。それらの建物は、鶴川村能ヶ谷の場合と同じように、ユニクロのような建物であって、地域性もへったくれもありません。それらの建物は、挨拶もなく建設され、それは土地所有という法に守られていて、一人では立ち向かえません。
この項では「地域らしい表情を持った家」をいい、それらは「その地域の「らしさ」を
明瞭に示していて、その土地に群生する茸(きのこ)のようなもの」だったと書きました。この「民家茸論」は、伊藤ていじさんの『民家は生きてきた』(美術出版社)を論拠にしたものでした。日本の経済成長や社会状況の変化に伴い、バナキュラー(土着的)な建築が失われていくことの問題性と、その建築を成り立たせている必然性をこの本は解きました。戦後の一時期、民家は建築ではないという議論がしきりにありました。伊藤ていじさんは、それに立ち向かい、全国を歩いて、民家が建築であることを立証しました。彼が地域でみたものは、それがまるで茸のように群生している姿でした。
私たちは、近くの山の恵みを活かして、地域らしい表情を持った家を建ててきました。
家の屋根は上にあるのに、屋の根と書きます。
家は、大地にしっかりと根を張り、くい込むように建てられていたからでしょうか。専門家は、古民家の屋根をみると、それがどの地域のものであるかが分かるといいます。屋根は、その地域の「らしさ」を明瞭に示していて、その土地に群生する茸(きのこ)のようなものでした。
けれども、現在、その地域に固有の家を見出すことは至難です。数十年前までの地域の家が、どんな材料を用いて、どのように建てられていたのか、という記憶さえ定かではありません。
今では信じられないことかも知れませんが、家は、ほんの数十年前まで、近くの山(里山、裏山、奥山、川を遡った後背の山、周縁の山々)で伐りだされた木を用いて建てられていました。それが普通の家の建て方でした。木だけではありません。近くで掘り出された土は、藁(わら)スサを混ぜて発酵させ、竹で小舞(こまい)を組んで壁土として塗られ、石灰・貝灰・牡蠣(かき)灰などは、布海苔を混ぜて漆喰(しっくい)壁にして家や蔵に塗られました。さらにはまた、近くの野原に自生する葦(よし)は屋根材として葺(ふ)かれ、天然の漆(うるし)や柿渋は塗料とされ、コウゾ、ミツマタ、ガンビなどの植物繊維を原料とする手漉(てす)きの紙は、襖や障子に用いられ、い草は畳表の材料にされました。これらは言葉の正しい意味で「在来の家」を表わし、至極当たり前に「自然素材の家」でした。
むろん、すべての家々が近くの山の木や産物を利用して建てられていたわけではありません。木曾檜、吉野杉、秋田杉などの材は、銘木として古今東西に名高く、三州瓦は江戸にも、京の都にも知られ、美濃紙の声誉(せいよ)は五山の禅僧を通じて、遥か遠く明代の中国にまで伝えられていました。それらの輸送には難儀を強いられましたが、遠くに運ぶに足る値打ちを有していました。
けれども、多くの家々、普通の家々は、近くの山に合わせ、木に合わせ、地域で得られる諸々の材に合わせて建てられていました。つまり、どの地域においても、とり立てていうことなく、家は地域資源を活用して建てられていたのです。今のように、ほとんどの建築材料が遠方から運ばれたり、工場で加工された「新建材」が幅を利かせるようになったのは、永い歴史からみれば極々最近の事象に過ぎません。



長崎市の郊外にある輝星建設のモデル住宅です。このモデル住宅は、地域の風景によく溶け込んでいて、端正な姿を見せていました。庭に梅の花が咲いていました。
写真・文:小池一三(近くの山の木で家をつくる運動宣言起草者)





コメントはこちらから!