びお・七十二候

桜始開・さくらはじめてひらく

2009年03月26日 木曜日

桜始開

「桜始開」は春分の次候。
「さくらはじめてひらく」と読みます。うららかな春の陽気に誘われて、桜の花が咲き始める頃をいいます。
平安時代からこちら、「花」といえば桜を表しました。

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)

もし桜の花がなかったら、桜が咲いたの咲かないのと、こころ騒がせることもなく、のんびりした気持ちでいられたろうに、というのです。
今年も、桜前線が南から北へと移動し、春華やぐ季節となりました。
今年の開花日は、例年より早いようです。日本気象協会の桜(ソメイヨシノ)の開花予想によると、九州や四国では記録的に早くなっており、東日本と東北地方も早い見込みです。
ここにいう開花日とは、その地域の標本となる木が、5〜6輪以上、花が開いた状態の日をいいます。また、満開日とは、標本木の80%以上の蕾が開いた状態の日をいいます。

きょうは、桜の花ではなく桜餅(さくらもち)を詠んだ句を紹介します。

さくら餅うち重なりてふくよかに
日野草城

さくら餅は、お馴染みの桜の葉を用いた和菓子です。桜の葉に包むことで、その芳香を生地に移して桜の風味を楽しむお菓子です。
さくら餅は、関東と関西で異なります。関東のそれは、長命寺餅といわれ、小麦粉の生地を焼いた皮でクレープのように餡を包んだものをいいます。関西のそれは、道明寺餅といわれ、糯米を蒸かして干した粒状の皮に、大福のように餡を包んだものをいいます。桜の葉で包み、包皮を食紅で桜色に染めるのは共通しています。
大島桜は、葉がやわらかく毛が少ない大島桜の葉を塩漬けにして使います。主として伊豆半島の松崎町(長八美術館のある町)で生産されています(全国シェア70%)。
食べる際に、桜の葉を取るか、取らずにそのまま食べるか、人によって異なるようですが、塩気を含んだ葉が餡の甘味を引き立て、さくら餅の独得の風味を引き出していますので、葉は食べないという人も、丸ごとのさくら餅を一度味わってみてください。

日野草城の句は、「うち重なりてふくよかに」という形容と、東京上野生まれということから、長命寺のものと思われます。いかにも春の訪れを表す句で、さくら餅の食感までが伝わってくる句です。長命寺は向島にあり、その門前の桜餅屋の二階を学生時代の正岡子規が借家にしていました。子規とさくら餅は、いい取り合わせだと思いませんか。

日野草城(ひのそうじょう/1901〜1956年)は、高浜虚子の『ホトトギス』に学び、21歳で巻頭の句を飾り、注目を集めました。1934年(昭和9年)『俳句研究』に、新婚初夜を描いた10作「ミヤコホテル」を発表しました。この「ミヤコホテル」はフィクションでしたが、この連作をめぐって、ミヤコホテル論争が起きました。
その10作とは、

けふよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春
夜半の春なほ処女(おとめ)なる妻(め)と居りぬ
枕辺の春の灯(ともし)は妻(め)が消しぬ
をみなとはかかるものかも春の闇
バラ匂ふはじめての夜のしらみつつ
妻(め)の額(ぬか)に春の曙はやかりき
うららかな朝のトーストはづかしく
湯あがりの素顔したしく春の昼
永き日や相触れし手は触れしまま
失ひしものを憶(おも)へり花ぐもり

草城は新婚旅行に行っていません。
虚子の弟子を任じる中村草田男は、「何と言う救うべからざるシャボン玉のような、はかなくもあわれなおっちょこちょいの姿」(『尻尾を振る武士』)と批判します。
草城の擁護にまわったのは新興俳句系の俳人たちで、文壇では室生犀星が「侘びや枯淡の芸言づくめの俳壇にあらわれ」(俳句は老人文学ではない)たことを、高く評価します。このミヤコホテル論争が後に虚子から『ホトトギス』除籍とされる端緒になりました。虚子と袂を分かった草城は、無季俳句を容認し、モダニズム俳句の旗手となり、「俳句を変えた男」(復本一郎)とされます。以下は、晩年の句です。

春暁やひとこそ知らね木々の雨
松風に誘はれて鳴く蟬一つ
秋の道日かげに入りて日に出でて
荒草の今は枯れつつ安らかに
見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く

俳句

桜餅

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