びお・七十二候

蟄虫啓戸・すごもりむしとをひらく

2009年03月06日 金曜日

蟄虫啓戸

冬眠していた虫が動き始める季節をむかえました。
蟄虫啓戸と書いて、すごもりむしとをひらくと読みます。土の中で冬眠していた昆虫たちが、戸(穴)を啓(ひら)いて出てくるというのです。
遠山啓(とおやまひらく)という数学者がいました。この人は水道方式という、だれにも分かる数学を提唱した人として一時代をつくった人ですが、啓(ひらく)という名前に惹かれました。つまりこの人は、むずかしい数学の戸を啓(ひら)いた人だったのですね。
啓蟄をむかえると、山々や野原は、沈丁花や木蓮、辛夷(こぶし)、スミレやれんげの花が咲き出します。戸を啓(ひら)いて出てきた虫たちとの合従連衡が始まります。そうして、春の気配が一気に高まるのです。

きようの句は、松本たかしの

恋猫やからくれなゐの紐をひき

を取り上げます。
恋猫は、俳句の春の季語です。「猫の恋」「うかれ猫」「春の猫」といった言葉もあります 。牡猫たちは、この時季をむかえると森進一のようなハスキーな声で、切なく、狂おしく鳴きたてます。そうしていく日も家を留守にして浮かれ歩きます。
人は世間体というものがあって、牡猫のように恋情を露わにするのは憚れます。けれども猫には憚りがありません。普段はおとなしい家猫の抑えられない遠慮のなさに、飼い主は大いに戸惑いを覚えますが、子孫を残すという猫の本能がしきりと訴えているのだと思います。そんな猫たちを詠んだ恋の句がたくさんあります。

麦めしにやつるる恋か猫の妻[芭蕉]
なの花にまぶれて来たり猫の恋[小林一茶]
恋落ちしときの猫の尾おろおろと[加藤楸邨]
月の出の夜々におくるゝ猫の恋[山口誓子]
山中に恋猫のわが猫のこゑ[橋本多佳子]

橋本多佳子の句など、切なさもここまでくると、もう凄絶としかいいようがありませんね。
さて、松本たかしの句ですが、恋猫とからくれないの紐と絡み合うという句で、これもまた悩ましい句です。
からくれないは、漢字で「韓紅」と書きます。韓から渡来した紅の意、濃くて、深い紅の色です。元の意味は、呉藍(くれない)だといいます。呉は呉服すなわち絹織物です。藍は、染料全般の意味がありました。在原業平に、

千早振る神代も聞かず龍田川からくれなひに水くくるとは

という、「小倉百人一首」にも入っている有名な歌があります。美男子の誉れ高い在原業平が、紅葉が映り込んだ龍田川を詠んだことそのものが、この歌を成り立たせていて、平安の女性たちは、この歌を、きっとうっとりとして詠んだことでしょう。
松本たかしの句の方は、からくれないの紐を引く恋猫を詠んでいて、こちらは何とも悩ましい句です。
松本たかし(1906年〜1956年)は、東京神田猿楽町の宝生流能役者の家に生まれました。代々続く江戸幕府所属の座付能役者の家の長男だったので、5歳にして修行に入りますが、14の時に肺尖カタルを患い、父からもらった「ホトトギス」を手にしたことで俳句に興味を持つようになりました。品位ある俳句で知られます。
この句に詠まれた、からくれないの紐は、能衣裳からきているのかも知れません。
松本たかしの句を幾つか紹介しておきます。

チポチポと鼓打たうよ花月夜
避けがたき寒さに坐りつづけをり
夢に舞ふ能美しや冬籠
あの雲が飛ばす雪かや枯木原
たんぽぽや一天玉の如くなり
芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり
鶏頭を目がけ飛びつく焚火かな
春愁や稽古鼓を仮枕
日の障子太鼓の如し福寿草
入海の更に入江の里の秋

俳句

木瓜

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