興味津々
興味津々・No.044
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東京世田谷の粕谷に、今も武蔵野の面影を残す公園がある。「蘆花恒春園」と呼ばれている。『不如帰』や『思出の記』で知られる明治の文学者、徳富蘆花(健次郎)が居住した家がそのまま残されている▼蘆花は、国木田独歩に与えた書のなかで、武蔵野は「夏は涼しい」「冬枯れも好い。若葉は実に美しい、早起きして水のような空気を吸って居ると、林の奥に睡そうな日が出る。花を欺く木々の若葉からぽたりぽたり露が滴れる。夏秋の虫の音も好い」と書いている▼蘆花が住んだ世田谷に、彼が書いた武蔵野の姿はない。武蔵野の自然を介して意気投合した国木田独歩が讃えた渋谷にも武蔵野の姿はない。蘆花や独歩が住んだのは明治40(1907〜)年代なので、今から100年前のことである。そのころ、世田谷にも渋谷にも点々として雑木林が広がっていた▼蘆花が住んでいた地番は、東京府下北多摩郡千歳村粕谷356番地だった。風が吹くと土が舞い、住人は少なかった。蘆花はそれをいいことに、「風呂の中から天の川を仰」ぎ、「雨が降ると海水帽をかぶったり、傘をさしたりして」、まるで赤児のように過ごした。彼が日記に書いた夫人愛子との交情は、あまりにも赤裸々で気恥ずかしくなるが、独歩がそうであったように、彼は一方において自然に対する冷静な観察者でもあった▼「余は斯の雑木林を愛す。木は楢(なら)、櫟(くぬぎ)、榛(はん)、櫨(はじ)など、猶(なお)多かるべし。大木稀にして、多くは切株より族生せる若木なり。下ばへは大抵奇麗(きれい)に払ひあり。稀に赤松黒松の挺然林(ていぜんりん)より秀でて翆蓋(すいがい)を碧空に翳(かざ)すあり」▼同じ新芽でも「淡褐、淡緑、淡紅、淡紫、嫩黄(どんこう)など和(やわら)かなる色の」違いが認められるといい、「青葉の頃其林中に入りて見よ。葉々日を帯びて、緑玉、碧玉、頭上に蓋を綴れば、吾面も青く、もし仮睡(うたたね)せば夢又緑ならむ」(講談社 日本現代文学全集 徳富蘆花より)という▼蘆花健次郎は、兄でジャーナリストの蘇峰とともに熊本県水俣に生まれた。徳富家は水俣の土豪で、横井小楠門下の一敬を父としている。長じて、兄弟の思想はまるで異なることになり、断絶状態にあったが、蘆花が『死の陰に』という文章に書いた白壁の生家は今も残されている▼水俣と、天草の島々を望む不知火海は、その後、水俣病が惹起され、多くの犠牲者が出て「死の海」と呼ばれるようになった。それによって、稀なほどに美しい響きを持つ「みなまた」という地名は地に墜ち、汚されてしまい、水俣は世界的な負のイメージを帯びることになったのである▼一方は都市化の波のなかに自然を滅失させ、一方は地域の人間関係までずたずたにし、大きな傷を残すに至ったわけで、それがこの100年間に、二つの地域に起こったことである。というより、日本中で起こったことである▼「春来たりて、限りを尽くせる新芽をつくる時は、何ぞ独り桜花に狂せむや」「霜落ちて、大根ひく頃は、一林の黄葉錦してまた楓林(ふうりん)を羨まず」(蘆花『自然と人生』より)




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