特集

私たちは、緑の列島に、木の家を建てて、住んできました。

2009年02月25日 水曜日


悠山想 久留米の家・外観

この月曜日(2月23日)、福岡・悠山想を訪ねました。博多からJR線で久留米まで行きましたら、社長であり建築家でもある宮本繁雄さんが駅で出迎えてくださいました。その日のうちに長崎に入らなければならず、あわただしい訪問でしたので、早速、車に乗って建物見学に向かいました。

 
久留米の家・玄関から庭を望む(左)・階段(右)

一軒目の家は最近建てられた家で、そうか悠山想さんはこういうお仕事をなされているのだ、ということを感じました。用いられている材も職人の腕も水準が高く、7人家族が住む立派な家でした。玄関を入ると、大きな窓の向こうに庭があって、光と影の演出が巧みだなと思いました。それは大きな吹き抜けのあるリビングにも通じていて、木と白い壁と窓とのプロポーションが実にいいのです。
悠山想は、筑紫川流域の木と地元の土を用い、鍛えられた職人が腕によりを掛けて造る家を建てられてきた工務店です。「筑紫次郎の家」と名づけられています。坂東太郎(利根川)と、四国三郎(吉野川)と並ぶ、名川筑紫川流域の山々を遠くに眺め、この川がもたらしてくれた沃野にて、営々として家を建てられてきました。


工事中の平屋

一軒目の家を見たあと、二軒目の家へと向かいましたが、途中車窓から、あれは10年前に建てた家、あのお店も、あの角の家も、と次々に悠山想の家を紹介していただきました。水準の高い木の家は、年間、そう何軒も建てられるものではありません。でも、何十年と重ねられた仕事は、地域の表情を生んでいて、ここは悠山想の「シマ」なのだと思いました。


25年前に建てられた家

二軒目の家は、建築中の平屋の家でした。竹小舞(たけこまい)と縄によって編まれた間渡(まわたし)の下地に、近くで掘り出された土が塗られていました。土は藁(わら)スサを混ぜると腐敗菌が繁殖し、土中のバクテリアとのバイオメカニズム作用によって、土粒子にセルロースの網を被せられ、バクテリアの糊で固着されて、高い強度と粘性が発揮されるようになります。丁寧な仕事をされていると思いました。
この家の三軒向こうに25年前に建てられた家がありました。新築の平屋は、その家で育った娘さんの家で、親に倣って悠山想で建築されていたのでした。
25年前に建てられた家は、風格を感じさせるものがあって、どこかドイツの古民家を感じさせるものがありました。

私たちは、緑の列島に、木の家を建てて、住んできました。

この緑の列島に、私たちの祖先は太古のむかしから住み続け、暮らしを営んできました。
祖先がごく自然に選んだ住まいは、木の家でした。
寒帯に住むイヌイットが、冬季に雪の家(イグルー)に住み、夏はアザラシの皮で造ったテントの家に住んだように、また、乾燥地帯の人たちが日干し煉瓦の家に住み、熱帯の人たちが木の枝と葉で造った家に住んだように、私たちの祖先は、この列島から得られる森の恵みを活かして木の家を建て、生命を、暮らしを育んできました。
一般的に、その国・地域の建築材料は、その国・地域で最も手近に、そして最も安価とされる材料が用いられてきました。ヨーロッパでは石材が豊富に産出されました。このこととヨーロッパにおける石造建築はイコールで結びついています。ギリシア、ローマ以来の地中海文明の発達は、この地域に豊富に産した大理石の存在抜きには考えられません。前五世紀後半に建てられたパルテノン宮殿は、その象徴的な建築物です。
一方、この列島特有の火山性土壌からは、建築の用材にふさわしい石材はほとんど産出されませんでした。わずかに薬師寺の仏壇や法隆寺の仏像の台座に大理石の利用が認められるものの、建築用材とするほどの量を充たすことはできませんでした。けれどもこの列島には、強くて、木目が美しく、加工も容易な木材が豊富に産出されました。ヒノキ、スギ、マツ、ケヤキなどの樹木は、建築用材として実にすぐれた性質を有していました。しかもこれらの樹木は、特定の地域に偏ることなく全国各地に分布していて、多くの木材産地を形成してきました。
日本の大工棟梁は、この与えられた材料を活かし、鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、鑿(のみ)など、至極簡便な工具を用いて加工し、家を組立てました。その基になった術は、意匠と構造、設計と工事と体系づける技術であり、その技術は棟梁からその弟子へと継承され、経験と勘によりながらも、一種の空間翻訳機能ともいうべき特徴を有していました。この国の伝統技術といわれるユエンです。
現在、世界遺産に指定されている木造建築物は、これら日本固有の木材を活かして建築されたものであり、そこには木とこころを通わせ、木にしかできないカタチを追い求めてきた職人たちの歴史があります。

第一章 緑の列島 その歴史と現状
2項「私たちは、緑の列島に、木の家を建てて、住んできました」では、建築用材が持つ地域性を取り上げました。ここにいう地域性は、狭義な意味での地域ではなく、地球上における広義な地域性で、比較としてイヌイットのイグルー、ヨーロッパの石の家、乾燥地帯の日干し煉瓦の家と、日本の木の家について書きました。
イヌイットのイグルーの家は、その後『住まいを予防医学する本』(115p)で取り上げました。また、木が失われた乾燥地帯の日干し煉瓦の家については、木の家具の代わりとしてペルシャ絨毯が用いられたことを、あちらこちらに書いたりしました。石の建築は、戦争などの被害に遭うと,建物が「崩壊」すると書かれるけれど、木造では「倒壊」と書かれる話なども、わたしの講演でのオハコになっています。
悠山想の家を見ながら思ったことは、日本には、ちゃんといい木があるということでした。悠山想の事務所は熊本に建っていた蔵を改造した建物で、梁は巨木の栴檀(せんだん)が用いられていました。「栴檀は双葉より芳し」(せんだんはふたばよりかんばし)の諺で知られる栴檀です。こんな巨木が、この辺りに自生していたというだけで感動しました。栴檀は、南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」と言ったという話がありますが、それは栴檀だったといわれています。

写真・文:小池一三(近くの山の木で家をつくる運動宣言起草者)

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