びお・七十二候

霞始靆・かすみはじめてたなびく

2009年02月24日 火曜日

霞始靆

霞始靆、かすみはじめてたなびくと読みます。
霞(かすみ)は読めますが書けるかどうか不安です。靆(たなびく)は、麻生太郎でなくても読めませんし、書けません。
前に書きましたが、秋の霧(秋立つ霧)と春の霞(春立つ霞) は、気象的には同じ現象です。微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして、遠方がはっきりと見えない気象現象をいいます。霞、霧と、靄(もや)との違いは、視界が1km以上の場合が靄、1km未満のときに霞や霧になるそうです。
わたしは中学生を京都で過ごしましたが、その中学校の校歌は「月輪山の春霞、夢麗しく若き日の、ただひたすらに智を磨き~」で始まりました。吉井勇の作詞でした。泉涌寺の境内にある中学校で、山道を歩いて登校すると木立の間を春霞が靆(たなび)いていました。遠くをみると、若草色と薄桃色が合わさったような色をしていて、多分、水滴の浮遊が樹木の花や葉をおおって、霞がかかっていたのだと思います。当時は、ただ幻想的で、大人になった気分でその道を歩いていたように思います。

さて今回は、前回に続きたんぽぽを詠んだ句です。

車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて

寺山修司の十代の句です。寺山は、言葉の錬金術師の異名をとり、膨大な量の文芸作品(小説・エッセイ・評論・戯曲・シナリオなど)を残しました。
『書を捨てよ、町へ出よう』や『家出のすすめ』などのエッセイ、小説『ああ荒野』、あるいは映画『田園に死す』などの作品によって知られています。
寺山は、本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返したといいます。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わしました。テレビやラジオでは、青森弁なのか、津軽弁なのか判別がつきませんが、訛りのつよい語り口で、「下北半島は、斧のかたちをしている。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」なんてことを喋っていました。
寺山は、二十歳そこそこで俳句と「絶縁」しました。

カルネ――〈俳句絶縁宣言〉
夏休みは終わった。僕は変わった。
しかし僕は変わりはしたが、立場を転倒したのではなかった。
青年から大人へ変わってゆくとき、青年の日の美しさに比例して「大人となった自分」への嫌悪の念は大きいものである。
しかし、そのせいで立場を転倒させて、現在ある「いい大人たち」のカテゴリイに自分をあてはめようとする性急さは、自分の過ちを容認することでしかない。
僕が俳句をやめたのは、それを契機にして自分の立場に理由の台石をすえ、転倒させようとしたのではなく、この洋服がもはや僕の伸びた身長に合わなくなったからである。
そうだ。僕は二十才。五尺七寸になった。
ふたたびぼくは、俳句を書かないだろう。(「青年俳句」昭和31年12月)

10代で詠まれたこの句は、寺山の天才性を示しています。
この句は、馬車か荷車の下にもぐり込んで車輪に何かが絡んで、それを繕(つくろ)っている男の頬に、地を這って咲いているたんぽぽがくっついた、と詠んでいる句です。寺山が10代の頃の青森で、よく見かけた光景だったのでしょう。ごくありふれた現実を、「たんぽゝに頬つけて」と詠むことで、寺山は、別種の世界へとアウフヘーベン(止揚)させるのです。見事としかいいようがありません。

俳句

かすみ

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