びお・七十二候
黄鶯睍睆・うぐいすなく
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ウグイス(鶯、鴬、学名 Cettia diphone)は、「ホーホケキョ」と大きな声で囀ります。日本三鳴鳥の一つ、春を知らせる代表的な鳥で、別名、春告鳥と呼ばれています。しかし、警戒心が強い鳥で、声は聞こえども姿を見せない鳥です。
囀りは、「ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……」。地鳴きは「チャッチャッ」。「ホーホケキョ」と鳴くのはオスで、「ホーホケキョ」は、接近する他の鳥に対する縄張り宣言といわれます。また、「ケキョケキョケキョ」は、侵入してきた者への威嚇とされます。
「梅にウグイス」といいますが、梅の花粉に寄るわけではなく、好物の毛虫を食べるために梅の木に止まります。梅の蜜を吸いにくるのはメジロで、ウグイスとメジロは、よく混同されます。
ウグイスは、毛虫の身体の蛋白質と脂肪と、青葉の葉緑素の両方を食します。毛虫を食べたウグイスは、胃や腸で強力な消化酵素を分泌し、食べた毛虫を消化します。しかし、腸がひどく短いため、その分解酵素や漂白酵素などが糞に含まれたまま排出されます。
この酵素が秘密成分で、この糞を顔面に塗布すると、角質層にたまっている垢や脂肪を溶かし、漂白酵素は肌のシミや色白効果に作用します。肌のくすみが取れて色白になるということから、古くから美顔洗顔料として人気があり、「うぐいすの粉」として売られています。
歌舞伎役者や芸者衆は、これをお白粉の肌焼けを取るのに使いました。しかし、糞を塗りたくって美顔が保たれているとしたら、何だか興醒めしてしまいますが……。
もっとも、今売られている「ウグイスの粉」(美容文化社)は、鳥獣保護の法律によって野鳥を捕ったり飼ったりすることができず、また、海外のウグイスもワシントン条約により日本には輸入できないため、ウグイスの糞を原材料として使われていません。ウグイスに似た野鳥を適法に輸入し、同じ餌を与えて同様の製品にしているということです。
さて、きょうは前田夕暮の歌を紹介することにしました。
前田夕暮というと、自然主義歌人として出発し、明るい色彩感覚の印象派風の歌で知られます。夕暮は、ゴッホが、ゴーギャンが、ルノワールが好きでした。ムンクも好きでした。
うすあかい靄のかたまりルノアールの坐れる少女の乳すこし紅し
ルノアールの絵は、印刷物などで見慣れているので、あまりに普通であるが、実物をみると、改めてその色彩の鮮やかさに驚くことがあります。この歌は、ルノアールの少女の「乳すこし紅し」を、夕暮は衒いなく歌に詠みました。
ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ
空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
印象派からの強烈な刺激が、これらの歌にうかがえます。
夕暮が、島崎藤村の影響を受けたことはよく知られていて、夕暮の第一歌集『収穫』の序文に自らの手によって書いています。
我が第一歌集を「収穫」と名づく。
一体去年の秋出すつもりで、略(ほぼ)原稿を纏めた時、いろいろ名づくべき標題を考へた末、「歌はわが若き日の収穫なり」といふことに思ひ及び、そのまゝ収穫を標題とすることにした。それから四五日して島崎藤村氏の処に行くと、氏も短篇集の名を収穫としようと思つてゐたといふ話があつた。私はその話をきいて悪いことをしたやうな気がした。そこで早速私の歌集の名は更(あらた)めて、新らしく氏に名づけていたゞくことにした。氏は自分の詩の中からでもよい標題をみつけてあげようといふ大変親切なお言葉だった。それから原稿をすつかり纏めて、一応みていたゞいた上、序を書いて貰ふ筈になつてゐた。
すると数日後、氏から一葉の端書が来て、「私の短編集は外の標題にしたから、君のはもとのままの収穫で出すことにしてくれ」といふやうた意味の文面であった。
其儘になつてそれから半歳すぎた。
(中略)
自分は技巧が拙い、修飾することを知らぬ。藝がない。であるから、思つたこと感じたことは、思つたこと感じたこと以上に歌ふことを知らぬ。唯正直に歌へたらよいと思つてゐる。自分は無論藝術を尊重する。愛する。然し自分は何時も通例人であらんことを願ふ。唯一箇の人間であつたらそれでよいと思ふ。通例人の思つたこと、感じたことを修飾せず、誇張せず、正直に歌ひたいと思ふ。吾等は藝園の私生児たることを厭はぬ。唯真実でありたい。
夕暮は、この自己像のままを生きた歌人でした。
本名は、前田洋造。筆名の「夕暮」は、定家、寂連と並ぶ三夕の歌である西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」から採ったと言われます。
春さればうす紫の山独活(やまうど)の若芽は味噌をまぶしてぞ食す
この歌は、いかにも夕暮です。この「春されば」は、春が去ったことを意味する言葉でなく、春になると、という意味ですが、春になると、山独活の若芽が土の中から顔を出した、それを味噌をまぶして食べたというだけの歌です。この素直さ、健やかさは、何なんだろう。
夕暮は、1883(明治16)年に生まれ、1951(昭和26)年に亡くなりました。亡くなる前年から仰臥生活が続くなか、主治医が急逝したことが影響し、夕暮は「自然療法」に入りました。
雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は
死期を感じた夕暮の遺詠です。自らの死をも清々しく、客観的に歌った歌人でした。



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