伊礼智の実測スケッチ

VOL.2 24年ぶりの訪問~沖縄/伊是名島・銘苅家にて

2009年01月20日 火曜日

沖縄・伊是名(いぜな)島にある『銘苅(めかる)家』です。
伊是名島は、沖縄本島北部・今帰仁村の運天港から、フェリーで1時間ほどのところに浮かぶ島。周囲約16㎞という小さな島ですが、琉球国王第二尚氏(1470年~1879年/1470年から明治の廃藩置県まで400余年という長きに渡った長期安定政権)を開祖した「尚円王」生誕の地であることから、数多くの遺跡や文化財が残されています。
『銘苅家』は、尚円王の叔父の子孫と伝えられます。王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家で、この建物自体は1905(明治38)年に再建されました。戦災を免れた保存状態のよい琉球建築民家の中で、上級士族住宅としての格式ある異例から、1977(昭和52)年、国指定重要文化財に指定されました。

フクギの防風林に見た小宇宙

沖縄生まれの僕は、この正月の帰省の折、『銘苅家』を訪ね、伊是名島の伊是名集落に行きました。来島は実に24年ぶり。あの頃はまだ学生で、フクギ(常緑樹)の防風林が家々を覆い、ひとつの小宇宙のように思えたものでした。しかし、島に入ってみると、残念ながら、今ではその小宇宙は、ありませんでした。

1985(昭和60)年頃の伊是名島の集落

1985(昭和60)年頃の伊是名島の集落

簡素にして、品のある住宅発見!

さて、同じく24年前に訪ねた『銘苅家』ですが、記憶にあまり残っていません。所在地も、地図と道路の案内を頼りに出かけました。ところが、島の幹線道路には案内が出ているものの、近くに来るとさっぱり。ちょっと不安になりかけたその時、かつての小宇宙の面影が目の前に。フク木の防風林に覆われた集落──伊是名集落です。それから、どの家も風情のある、そんな集落内をうろうろしていると・・・・・一軒だけ、簡素だけれど、品のある住宅に出くわしました。

小さな看板ひとつの重要文化財

ひっそりした佇まいは、一般の民家だと見受けられました。その品の良さに、おそるおそる中へ入っていくと、誰もいない様子。カーブした石垣からして“もしかしたら・・・”と思ったら、看板がたったひとつだけ。「これが銘苅家である」との簡単な解説のみ。“これが、メ・カ・ル・ケ?”──何とも、おおらかな重要文化財ではないですか!!

人を招き入れるような、美しい石垣のカーブ

『銘苅家』の特徴はカーブした、招き入れるような石垣・・・これがこの家の特徴で、美しい。招き入れる先は、たぶん、もと「畜舎」?(笑)・・・士族の家だと思いますが、普段の生活性を重視した設計だと思いました(笑)。いや、久米島の上江洲の石垣が路地に対してカーブしているのは、風水からきたもので、魔物をはね返すためだと聞いています。魔物は直進してくるので、ヒンプン(*)などを正面に設けてはね返す(食い止める)のですが、石垣をカーブさせることで、魔物に肩すかしを食わせる?のかもしれません(笑)。その導く先が「畜舎」であって、母屋ではない・・・というのが意図かも知れませんね。
お客様は、屋根付きの門をくぐってアプローチします。でも、ちょっと面倒な感じですね。母屋の素朴な美しいプロポーションもさることながら、足を一歩踏み入れた時から、実は、その、元「畜舎」?(たぶん。写真・左手)のプロポーションに心を奪われていました。あの軒の低さ、横長の単純な形・・・豪華なごちそうではなくて、まるで、きちんと出汁を取った、良くできた美味しいみそ汁やご飯のような味わいです。

(*)門と母屋との間に設けられる「目隠し」をいい、琉球民家建築における典型的な様式のひとつ。もともとは中国語の「屏風」のこと。

程のよい、申し分のないプロポーション

そうはいっても、まずは母屋からということで、これはヒンプンの見返しの写真です。『銘苅家』は路地からヒンプンの距離がかなりあるのも特徴です。理由はわかりません。でも、それがこの家の品格に大きく寄与していると思います。公と私のあいまいな部分が大きい・・・それが周辺の民家と異なり、『銘苅家』の魅力のひとつです。

そこで、母屋の断面を早速実測!!

やっぱり低い・・・地面から軒先(たる木下)まで2,100㎜です。これくらいの高さは、いいですね・・・極端でもなく、もの足りなさもなく、程のよい、申し分のないプロポーションだと思いました。

<どう手が加えられていったか?>が重要

母屋の雨戸の敷居にご注目下さい。これは建築家・中村好文さんの話を聞くまで気づかなかったのですが、敷居に竹を埋め込んであります、それもかなり精度の高い仕事です。この部分の仕事を見て、これを手掛けた大工のこだわり、建築に対する眼の確かさを感じたようです。詳しくは、中村さんの『意中の建築』下巻(新潮社/2,800円)をご覧ください。
それにしても中村さん、よく着目したと思います。たぶん、1979(昭和54)年に手を入れた時の仕事ではないか?と思うのですが・・・文化財というのは初期の状態よりも、<どう手が加えられていったか?><その時、どのような職人が関わったのか?>というのが、とても重要に思います。

気になる、元「畜舎」?を実測!

さて、気になってしようがなかった、元「畜舎」?(今は納戸)に移ります。
文化財とはいえ、何度か手を入れています・・・この部分は、柱や梁を見てもかなり新しいと思いました。そして、軒先の高さが極端に低いこと、土間と中庭の芝生の部分に段差がないこと、土間から外壁が生えてきたようなつくりになっていること、が、この美しさの要因だと思います。余計な線がない・・・とてもシンプル。

こんなプロポーションの住宅を設計していきたい・・・というわけで早速実測!!

軒下1,685㎜です・・・ほぼ、ぼくの身長。軒の低さが美しい。

母屋からアサギへの仕掛け

『銘苅家』の最後の特徴をご紹介しましょう。母屋からアサギ(ハナレ)にアプローチする仕掛けです。恐らく、お祝い事とか、行事の時のみ、通路に蓋をして歩けるようにしたのでは? と思います。ごちそうを持って、ここを渡ってアサギ(ハナレ)に届ける映像が、頭をよぎりました。

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