特集
鰤の話
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サケについて
アイヌ語の「シベ・ツ」は「サケのいるところ」を意味します。北海道の標津は、そのまま漢字が当てられた地名です。最近になって、北海道ではサケの化石や、古代人のサケ捕獲装置が発掘され、北海道で縄文文化が意外に広く分布していたことが判明しています。
北海道の縄文人は、海の魚を捕獲する術(漁具や漁船)を持っておらず、嵐の後に海岸に打ち上げられる貝類やオットセイを食していました。そのなかで、唯一サケは河川を遡上する海の魚でした。これを漁獲することで、彼らは貴重な動物性蛋白源にしました。
「びお」では、本州の縄文人の食が、主としてどんぐりや栗などのでんぷん食に依存していたのに対し、北海道の縄文人は、豊富な動物性蛋白質の摂取によって虫歯が少なかったことを特集(「静けさを取り戻した洞爺湖と噴火湾周辺」2008年8月18日)にて編みましたが、この影響は、サケが遡行する東日本の縄文人にもみられ、この季節的な溯上による定期漁獲物の存在は、縄文食文化の一つの基盤を成していたのではないかと考えられます。
後に、奈良時代の風土記や、平安時代の『延喜式』に鮭の食文化が記述されていることからも、それは裏付けられることです。
サケが故郷の川に還るのは、サケの胃袋が、氷河期に誕生した祖先の記憶を残しているからだという説があります。その説によると、サケは氷河が溶けた水の中で誕生し、そこには十分な餌がないので川を下り、餌が豊富な北の海に出て栄養を蓄えた後、祖先の川に還り、雪解け水の中で産卵します。
親魚は川を上っている間、餌を取りません。産卵期は免疫力が低下しますので、遡上中に水カビ病に感染し上皮が白く変色するサケもいます。赤色と黒褐色が混じったぶち模様となり、それはブナの木肌に似ていることから「ブナ毛」と呼ばれます。サケのあごの先端は鋭角的になり、それでもサケは流れに逆らって、なお泳ぎ続けます。産卵後、大半のサケは数日以内に寿命が尽きて死にます。凄まじいまでに「種の保存」に尽くす姿です。
海に出ないで、そのまま居残ったのが岩魚で、岩魚は餌の少ないところに生息したため悪食になりました。岩魚がアルプスの稜線を隔てることなく、日本海側と太平洋側の両方に生息するのは、それぞれの渓流に取り残されたからだといいます。
サケが川に戻って産卵することを知った人々は、いたずらに漁獲することを戒め、それを民話にして口承伝承しました。そうした民話は、岩手県の陸前高田市、遠野市、山形県最上町、寒河江市、庄内地方など各地に残されています。サケは、今でも好不漁の波がありますが、租税として用いられるようになると、安定的にサケを漁獲しないと困ったことになります。そこで安定的にサケを漁獲できる方法を追及するようになります。
ここにサケの回帰性に着目し、サケの自然増殖の方法を編み出した武士がいます。

三面川の鮭漁
越後国村上藩(今の新潟県村上市)の下級武士、青砥武平治(あおとぶへいじ)です。武平治は、村上藩を流れる三面川(みおもてがわ)に、本流をバイパスする河川を作り、帰ってきた鮭が安心して産卵できる「自然ふ化増殖システム」を考案しました。世界初の自然ふ化増殖システムといわれています。1808(文化5)年のことです。
また村上藩は、塩引きサケの製法も編み出しました。
「三面川塩引き」として、この伝統は今も守られています。塩引きサケに最も適した時期は、小雪が舞い、冷たいダシの風が吹く頃で、その前に作っても、暖かさで鮭がいたんでしまうといいます。村上の人は、三面川の鮭を「イヨボヤ」と呼びます。「イヨ(イオ)」と「ボヤ」は共に広く魚をさす方言です。村上ならではの言葉です。
こうしてサケは、東日本において食されましたが、サケは海岸部に住む漁民のものというより、生まれた川に還ってくる習性を持っているので、それが知られるにつれ各地でいろいろな漁法や捕獲のための組織が編まれます。
たとえば山形県の最上川では、上流部の真室川のさらに支流の鮭川が産卵河川となり、孵化事業は農民組織によって担われました。サケ漁は、秋から冬にかけての農閑期なので、稲の刈り入れが終わったあとの、彼らの格好の仕事になりました。
サケが還って来る川は、信濃川と利根川が南限とされ、それは寒流の親潮が届く範囲とされてきました。これは東日本沿岸とほぼ一致するのですが、最近では、サケの水産統計上の南限は鳥取県、太平洋側では利根川とされています。サケの住む海域水温は16度以下といわれますが、高温水に適応するサケも発見されており、サケが東日本だけのものと言い難くなっています。
福岡県の遠賀川を河口から50キロほど遡った嘉穂町に「鮭大明神」を掲額するサケ神社があります。境内にサケ塚があり、かつて遠賀川を上ってきたサケが葬られています。嘉穂町まで溯ってくるとサケはもう疲労困憊の状態で、それを嘉穂町の人は、神の使いとして迎えサケ塚に埋めました。
そうなると、フォッサマグナ説は一体どうなるのだ、ということになりますが?
新潟県はサケ文化圏が大半を占めます。越後平野の村々、十日町、六日町などの盆地、長野県の飯山、長野、上田、佐久、それから甲府、関東以東はサケ文化圏とされます。これはフォッサマグナ説と照応するのですが?
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