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鰤の話

2009年01月10日 土曜日
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ブリ街道、飛騨ブリ

飛騨の正月は、ブリがなければ始まりません。日本では、真鯛とともに縁起のいい魚とされ、飛騨高山ではこれをお正月に食べて、新年を祝います。
飛騨に運ばれるブリは越中産のものでした。富山湾の氷見は「越中式定置網」の発祥の地です。氷見に水揚げされたブリは、船で岩瀬浜へ運ばれました。岩瀬浜は神通川の河口にあります。そこから富山へは神通川の川舟で運ばれ、飛騨高山へは、牛や馬による荷駄によって運ばれました。安政期の記録によれば、総数で140万駄弱の魚が越中から運ばれたといいます。そのうち40万駄がブリとされます。1駄は、馬もしくは牛1頭に積める量をいいます。40万駄として、約100万本のブリが運ばれたことになります。富山からの行程は4日間を要したといいます。

氷見で水揚げされたブリは、かつては野麦峠を通って各地に運ばれました。
「越中式定置網」によって、魚を傷つけず生きたまま揚げられた鮮度の高いブリは、内臓が取り出され、淡い塩水で血や汚れが落とされました。一尾あたり4キロの塩が、腹や切れ目になすり込まれ、それを重ねてムシロをかけ10日ほど置かれると、塩が身に馴染みます。製法は新巻鮭と一緒です。浜値のブリは米1斗で買えたといいます。それが飛騨に運ばれ、飛騨ブリと名前を買えて信州に入ると米1俵になりました。1俵=4斗ですので、浜値の4倍に相当します。
飛騨高山から北アルプスの峠道を越えて信州に入る物資輸送ルートは、鉄道が通るまでは、鉢ノ木峠(2541m)中尾峠(2269m)安房峠(1812m)野麦峠(1672m)長峰峠(1502m)の5つの峠越えを必要としましたが、冬季間はどこも積雪が深く、寒ブリを牛馬の荷駄で運ぶのはムリでした。
そこで、最も越え易いとされた野麦峠が選ばれ、高山の歩荷(ボッカ)が担いでこれを運びました。歩荷が運んだ荷物は、男性が16貫(60キロ)、女性は12貫(45キロ)だったといいます。高山から松本までの距離は24キロ、8日間を要したといいます。
野麦峠は、『あゝ野麦峠』(山本茂実著 朝日新聞社刊/大竹しのぶ主演で映画にもなりました)で知られるように、岡谷に糸取りに行く工女道として知られています。大勢の工女が通った後は、赤く染められた工女たちの腰巻きの色で雪が真っ赤に染まったといいます。鉄道が通るまでは、同じ道を辿って飛騨ブリが信州へと運ばれたのです。
岡谷まで来ると、ブリはもう紫紅色をしていて、それを口に入れるとピリッと舌を刺したといいます。つまり初期の発酵が始まっていて、山国の人は、むしろそのピリッとした感触を楽しんだといいます。
野麦峠からは、奈川村で南下し木曾谷に運ばれ、また木曾谷からは権兵衛峠(1522m)を越えて伊那盆地へと運ばれ、伊那盆地からは、さらに小川路峠(1494m)を越えて遠山郷に運ばれました。遠山郷から南は、青崩峠かヒョー越峠を越えると、そこはもう太平洋岸に面した遠江です。
『南信農村史遠山』(南信濃村々史編纂委員会)によると、遠山郷のハレの日である年とりの膳には、五色の菜(里芋・ゴボウ・ニンジン・昆布・大根)と共に、年とり魚としてブリは欠かせなかった、と記されています。富山湾で獲れたブリが、人の背によって、遥かに遠い遠山郷まで運ばれ、それを食すことで年とりの膳にしていたという、年に1回だけの贅沢というか、この究極のスローフードは、ほとんど感動ものです。
木曾谷の民家の写真を見ていたら、ブリの尾が神棚に奉じられていました。ブリの鰭(ひれ)を切り取って、贈り物の熨斗(のし)代わりに使われていたようです。
富山から信州松本への主要輸送ルートは二つありました。飛騨ブリを野麦峠を越えるルートと、もう一つは、越後糸魚川を経由して千国(ちくに)、大町を経るに千国街道といわれるルートです。千国街道の塩ブリは、糸魚川までは船で運ばれました。越中(富山)と越後(新潟)の間には、親不知子不知(おやしらずこしらず)があり、牛馬による荷駄で運ぶのは難しかったからです。糸魚川から松本へは野麦越えと同じように歩荷(ボッカ)によって運ばれました。
信州に運ばれたブリは、腹の正中線を割くマハラと、横腹を割くヨツの二つの捌き方があり、同じ伊那盆地でも、上伊那はマハラ、下伊那の飯田はヨツに割かれました。これはブリの食べ方の違いによるといわれます。信州は伊那盆地や善光寺平、松本平、木曾谷など、地域によって食文化が大きく異なります。松本では、塩ブリを茹でて食べ、上伊那では酒粕で煮て食べ、飯田では塩抜きして焼いて食べることが多かったといいます。身は照り焼きに、半端な部分はお雑煮に入れられ、アラは大根などと一緒に煮物や粕汁にされ、頭(おかしら)は酢につけて氷酢にしたりと、ブリは一匹まるごと、どこも捨てるところなく食べられました。川魚しか縁のなかった信州人にとって、ブリは「海」そのものだったのです。

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