興味津々
興味津々・No.028
- 小
- 中
- 大
『広場の孤独』や、『ゴヤ』『定家明月記私抄』『方丈記私記』などで知られる堀田善衛の、上海滞在中(1945年とその翌年)の日記が見つかった。堀田は富山県伏木港の廻船問屋の息子として生まれ、当時の伏木港が日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚が育まれたとされる▼戦争末期に、国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで終戦を迎えた。引揚後、一時期新聞社に勤務したが、まもなく退社し、作家としての生活にはいる。新しく発見された日記は、当時、上海に居住していた日本人の混乱や、中国人の反応、中国共産党と国民党との内戦など克明に記録されているという▼上海での日本の敗戦は、実質8月11日だったとされる。日本が降伏したとのウワサが広がり、国民党の「青天白日旗」(今の台湾の国旗になっている)が掲げられ、爆竹が鳴らされ、街に人が溢れ出し、騒然とした雰囲気が醸し出された▼8月15日の天皇の勅語を、堀田は印刷所で聞く。雑音で聞き取れなかったが、日本が負けたことが分かった。日記には「外へ出ると、八月の上海の陽は強烈にギラギラ光り、ゆきかふ中国人の顔をどういう工合いにみてよいものか分から」なかったと書かれている。夜になって、当時、堀田と共に上海に滞在していた作家の武田泰淳はと会う。武田は「今夜一晩おれは泣く、後は絶対に泣かん」といい、「日本民族は消滅する」という。堀田はそれを聞いて「大声を発して泣き」、そうして「今日、この時」を見ることを自分に課す▼転換期の人間のあり方を、堀田はさまざまに描いた作家である。『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫)は、藤原定家が書いたものを順に読みながら、歴史のただなかを生きた、定家その人と、大原三寂や、西行や、藤原俊成や、後鳥羽院を追う。本を読むとはこういうことか、ということを、この本ほど分からせてくれる本はない。『ゴヤ』は、ゴヤその人とスペインという国の闇を照らし出して圧倒的である▼上海時代の堀田の日記に、これらの書物を生み出した堀田善衛の原点があるように思った。日記は10月4日から開かれた「堀田善衛展」(神奈川近代文学館)に展示され、日記は『堀田善衛上海日記 滬上天下一九四五』として集英社(2,415円/税込み)から発行された▼堀田の愛読者である宮崎駿は『方丈記私記』のアニメ化を長年に渡って構想したが、そのイメージ・ボードが神奈川近代文学館に展示されている。






コメントはこちらから!