びおの七十二候

60

橘始黄・たちばなはじめてきばむ

橘始黄

師走に入りました。
師走は陰暦の12月の別称です。陽暦(新暦)の12月にも用います。坊さんがこの月になると忙しく走り回るところから師走の語が生まれました。
師走坊主は、暇なお坊さんのことをいいます。盂蘭盆と違って、歳末にはお布施がないからです。
英語の月名はDecemberです。「10番目の月」という意味です。
紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算のため(そのため年末の2月は日数が少ない)、3月から数えて10番目という意味です。
日本では、極月(ごくげつ)とも言いますが、春待月という言葉がきれいでいいですね。

今候の句は、井原西鶴です。西鶴には、

大晦日定めなき世の定めかな

という有名な句があります。
この人は、ものすごいリアリズムの人ですね。それでいて生きることの現実、その切なさも分かっている人です。この句に、それがよく出ています。
「定めなき世」とは、この世は定まることなく流転しており、じつに無常なものだけれども、そこで詠歎に流れないのが西鶴なのです。そうはいうものの、大晦日だけは決算日なので、きっちり始末(支払い)をつけなければいけないよ、という(溜息が出るまでの)現実をつきつけるのです。

西鶴は、大晦日の様子を描いた「世間胸算用」の作者です。また、金と慾に生きる町人像を描き出した「日本永代蔵」の作者でもあります。「日本永代蔵」には、見落としがちですが「大福新長者教」という副題がついています。金持ちになるための処方箋というようなことでしょうか。岩波文庫版の表紙には、この副題はありません。同文庫版は東明雅が校訂にあたっていて、百代を「はくたい」、牛を「うじ」と古体の読みにしたがってルビが振られていて、おもしろく読めます。もっとも、麻生さんがこれを信じたりすると物議を醸すでしょうが(笑)。
西鶴の、率直で軽妙なこの文体は、後年、太宰治が影響を受け、太宰の「お伽草子」は、西鶴の「浮世草子」に通じるものがあります。声を出して読むとおもしろいので、一度試してみてください。
また、

世に住まば聞けと師走の砧かな

は、これもまたいかにも西鶴らしい句です。
西鶴にとって、この世は浮世だけれど、「世に住まば」と改めていうのです。そして「砧」の音を「聞け」といいます。
この場合、ポイントは「(きぬた)」にあります。つまり、西鶴にとって「砧」とは何だったのかが分からないと、この句は解けません。定めなき世の定めとしての大晦日は、よく分かる話ですが、この句は「砧」とは何かを知り、しかも想像力を働かせないとみえてきません。逆に深読みする楽しさがあるともいえます。

『広辞苑』には、「砧・碪」とは、

(キヌイタ(衣板)の約) 槌で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つこと。女の秋・冬の夜なべ仕事とされた。秋 。源氏物語夕顔「白妙の衣うつ──の音もかすかに」。「──を打つ」

『大辞泉』には、

《「きぬいた(衣板)」の音変化》
1. 木槌(きづち)で打って布を柔らかくしたり、つやを出したりするのに用いる木や石の台。また、それを打つこと。《季 秋》「──打て我に聞かせよや坊が妻/芭蕉」
2. 「砧拍子(きぬたびようし)」の略。

『大辞林』には、

1. 〔「きぬいた(衣板)」の転〕麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を槌(つち)で打って柔らかくし、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つことや打つ音。[季]秋。《声澄みて北斗に響く──かな/芭蕉》
2. 「砧拍子」の略。

『ウィキペディア』には、

布をたたいてつやを出すための道具。読みはキヌイタ(衣板)が略されたもの。

と記されています。
李恢成(り かいせい)に『砧をうつ女』(講談社文庫)という小説があり、芥川賞を受賞しています。この小説は、終戦近い時期、病気で母を失う少年の物語ですが、母親が洗濯物のしわ伸ばすため砧を打つ姿が印象的でした。

家で洗濯すると、母は乾いた着物を重ねてトントンと砧でたたいたものである。‥‥重ねた衣服類に布地をかぶせて、砧で気長にうつのである。毎日のように見る光景であった

砧を打つ母の姿が、この小説のタイトルにもなっているのです。

砧は、庶民の生活道具です。
絹はもちろん、木綿さえも縁遠かった庶民の「衣」は、麻、(こうぞ)、藤、(かずら)など、樹皮からとった繊維を織ったものが用いられました。それらは蒸され、川で晒され、紡いで織られます。繊維が太く、布目もゴワゴワしていて、衣服にするにはツライものがありますが、それを打ちやわらげるため叩くことを砧といいます。砧は「衣板(きぬいた)」の略だという説もあります。
砧の台は、松や杉などの切り株が用いられました。砧を打つのは女性の仕事なので、槌は、比較的軽い(けやき)が用いられました。
麻、藤などから、木綿でも粗い糸を用いる手紡ぎ、手織りの行われた地域では砧は長く残りました。

砧は中国から伝わり、中国では擣衣(とうい)といいます。朝鮮半島では、洗濯した衣類に糊をつけて艶出しするために最近まで用いられていたといいます。現代風にいうと、アイロン掛けといえば分かりやすいかも知れません。
砧は、日本では明治時代頃に廃れたといいます。李恢成が母の姿にみたように、韓国ではこの風習は長く続きましたが、最近は見掛けなくなったといいます。しかし、北朝鮮で見掛けたというブログがありました。


このブログは、『現代コリア468号』(07年1・2月号)に出ていた記事を紹介したもので、

2005年の秋。‥‥長白県の夜、電気がなく真っ暗になった川縁からは「コーン、コーン」という乾いた音が響いていた。北朝鮮の女性が洗濯物を棒で叩く音だった。もの悲しいその音は、夜遅くまで絶えなかった」
五味洋治「中朝国境で見た北朝鮮の現実」

この乾いた音は、これは洗濯ではなく砧だと書いています。洗濯は昼間にするもので、夜になってある程度乾いた段階で打つのが砧だから、といいます。また、川縁から聞こえてくるとあるけれど、これは疑問で、洗濯は屋外、砧は屋内作業でやるものであり、川縁に建つ家ではないかと推理します。当雑誌の編集後記に「それにしても暗闇の北朝鮮から女性たちの砧を打つ音が聞こえてくる描写には胸がつまった」ということも伝えています。

能の『砧』の女は、遠くの里から聞こえてくる砧の音に誘われて、夫がよこした使いの女と共に、「ほろほろはらはらはら」と砧を打ちます。遠くに聞こえる「ほろほろはらはらはら」に、女たちの砧を打たねばいられぬ心の憂さ、闇みたいなものが表出して、幽玄を感じさせます。

そういうことを知って、

世に住まば聞けと師走の砧かな

という西鶴の句を読むと、結構、なるほどということになりませんか。

『日本永代蔵』は、いわば成功譚ですが、『世間胸算用(せけんむねさんよう)(新潮日本古典集成)』には、江戸経済の爛熟期が終焉をむかえて、どうしようもなく重苦しい現実が描かれています。
副題は「大晦日は一日千金」ですが、20話は全て大晦日の設定になっています。それは、売買の勘定は全て大晦日に決済する仕組みになっていたからです。この一日をどう乗り切るかという息詰まる駆け引きのなかで、この日に払わずに済ませるための知恵と秘術の限りが描かれています。借金取りから逃れるために自殺を装う男と、男の虚言を見破る材木屋の丁稚の話があったりします。

これを読んで、西鶴の句をもう一度読むと、もっと身に迫りますよ。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年12月01日の過去記事より再掲載)

みかんと犬