特集
『超高層マンション』か『地べたを生きる家』か
2008年11月17日 月曜日
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イラスト:小野寺光子
2008年11月2日の『日本百名山』VS『日本百低山』に続くVS特集。
今回は、『超高層マンション』か、それとも、『地べたを生きる家』か、をテーマにします。
お聞きする上で、まず最初にハッキリさせておきたいのは(毅然と)、Aさんはどっちの立場ですか。わたしは「地べた派」です(強調)。町の工務店が建てる住宅は、地べたの近くに建てるのであって、せいぜい3階建て程度です。
その立場から、ご質問にお答えし、考えを述べることにします。
その立場から、ご質問にお答えし、考えを述べることにします。
きょうは、素直ですね(笑い)。ジャーナリストの、むのたけじさんが、人間に正しい生き方があるとしたら、それは自分の立場をハッキリさせることだと言われましたので…。
真正面から来ましたねぇ(笑い)。では、いずれ「超高層マンション派」の論客にも登場いただくとして。でも、ノコノコ町の工務店にやってきて、意見を述べる人が現れますかね? 違う意見・異なる見方・考え方あってのネットなので、そうありたいのですが。現われてほしいですね。じっくりと話を聞いてください。
決して恐くありませんので、是非、どうぞ(笑い)。
決して恐くありませんので、是非、どうぞ(笑い)。
しみじみ地べたを生きる。大事なのは人間的機能。
地べたを生きよう、という言葉は、町の工務店ネットが『住まいを予防医学する本』で打ち出した言葉ですね。そうです。人は地べたに近いところで生活するのが幸せだと書きました。現実に、土地がないと家は建ちません。都市が好きで、都市に執念深く住もうというなら、広さは捨てなければなりません。小さな家の発想と、具体的な設計の手法が必要です。
また、都市を捨てるという発想に立てば、まったく違う見方が出てきます。こうしか考えられない、というのではなく、こうも考えられるということが大切です。
また、都市を捨てるという発想に立てば、まったく違う見方が出てきます。こうしか考えられない、というのではなく、こうも考えられるということが大切です。
11月7日の特集、「小さな家と二世帯住宅」読みました。あの特集で最後に書かれていたこと、あれは発想がおもしろかった。目からウロコというか。あれについては、いろいろな声が寄せられていて、タウンハウスの新しいカタチだとか、この考えにはかつての「長屋」が持つ良さがあるとか、いろいろな反応、評価がありました。うれしい限りです。
高齢化社会になるというけれど、一つ屋根の下に住んでいる誼(よしみ)で、親子であれ、そうでない場合であっても、具体的に何がやれるわけではないけれど、気にはとめていてくれる、それはかつての「長屋」的なコミニュケーションの世界です。
二世帯の家が土間を挟んで住む。それぞれ独立しているけれど、土間を共有することで、そこが日々の出会いの場になります。土間は井戸端や、縁台があった路地の現代版です。
土間にテーブルを置いて、そこでお茶してもよいでしょうし、道具を持ち出して工作模型を作ったっていい。スキー板の手入れをしてもいい。そしてタタキの土間は、老人に子どもの頃の遊びの楽しさを思い起こさせます。
超高層マンションのコミニュケーション・ルームで、独楽(こま)を回せますか? 管理人からやめてくれ、といわれそうです。勘のいいオーナーが、竹とんぼをやろう、折り紙をやろうといっても、おしきせのものは長続きません。
地べたなら、どういうわけか記憶が蘇り、手が自然に動くようになります。小刀を使って竹とんぼを作る、その手業(てわざ)を子どもたちに伝えたいですね。昔の地域社会には、そういう場がありました。今はありません。なければ生むことです。
土間という仕掛けをつくるだけで、人が自然と何かしたくなるような、そんな空間がいいですね。二世帯住宅をいう以上、そんな空間をつくりたいと思います。その場合、広さとか、二世帯の生活の場との関係表現とか、設計がきわめて重要ですが……。
高齢化社会になるというけれど、一つ屋根の下に住んでいる誼(よしみ)で、親子であれ、そうでない場合であっても、具体的に何がやれるわけではないけれど、気にはとめていてくれる、それはかつての「長屋」的なコミニュケーションの世界です。
二世帯の家が土間を挟んで住む。それぞれ独立しているけれど、土間を共有することで、そこが日々の出会いの場になります。土間は井戸端や、縁台があった路地の現代版です。
土間にテーブルを置いて、そこでお茶してもよいでしょうし、道具を持ち出して工作模型を作ったっていい。スキー板の手入れをしてもいい。そしてタタキの土間は、老人に子どもの頃の遊びの楽しさを思い起こさせます。
超高層マンションのコミニュケーション・ルームで、独楽(こま)を回せますか? 管理人からやめてくれ、といわれそうです。勘のいいオーナーが、竹とんぼをやろう、折り紙をやろうといっても、おしきせのものは長続きません。
地べたなら、どういうわけか記憶が蘇り、手が自然に動くようになります。小刀を使って竹とんぼを作る、その手業(てわざ)を子どもたちに伝えたいですね。昔の地域社会には、そういう場がありました。今はありません。なければ生むことです。
土間という仕掛けをつくるだけで、人が自然と何かしたくなるような、そんな空間がいいですね。二世帯住宅をいう以上、そんな空間をつくりたいと思います。その場合、広さとか、二世帯の生活の場との関係表現とか、設計がきわめて重要ですが……。
何かの事情で一緒に住めなくなることって起こりますよね。もちろん、先のことは何が起こるか分かりません。将来、子どもたちが一緒に住んでくれればいいけれど、息子が仕事の関係とかで家を出なければならない事情が生じないとは限りません。最近は、長期にわたる海外勤務もあります。急にインドネシアに勤務とか、勤務が10年に及ぶとか。また近頃は、長男、長女の結婚も多いので、さまざまな事情で家を出ることになるかもしれません。そうなると家がぽっかり空きます。そういう場合は、人にお貸しすればいいのです。
二世帯住宅は、子どもの収入をアテにして住宅ローンを組む場合がありますし、場合によっては、賃貸の家賃と二重の支払いを必要とするかも知れません。そのとき、二世帯のうち、一世帯分を収入型住宅に変更できるフレキシブル性があると、変化に対応できます。
分離型の構成とはいえ、住んでもらう人は、いい人を選びたいですね。
他人同士は、かえって遠慮が働くのでいい場合があります。また、他人どうしであっても、仲良く暮らせる空間をつくりたいですね。それが、いうところの「長屋」的な発想の家です。具体的には土間の設け方がポイントになります。
世知辛い世の中で、そんな理想的な、絵に描いたような家が、果たして実現できるのか、というご意見、見方もあるでしょう。たしかに現実は甘くはありません。それでも、どこか人間的機能が働く居住空間でありたいと思うのです。
これから超高層マンションについて述べますが、最初に結論めいたことをいわせてもらうと、超高層マンションに根本的に欠けているのは、この人間的機能だと思っています。
分離型の構成とはいえ、住んでもらう人は、いい人を選びたいですね。
他人同士は、かえって遠慮が働くのでいい場合があります。また、他人どうしであっても、仲良く暮らせる空間をつくりたいですね。それが、いうところの「長屋」的な発想の家です。具体的には土間の設け方がポイントになります。
世知辛い世の中で、そんな理想的な、絵に描いたような家が、果たして実現できるのか、というご意見、見方もあるでしょう。たしかに現実は甘くはありません。それでも、どこか人間的機能が働く居住空間でありたいと思うのです。
これから超高層マンションについて述べますが、最初に結論めいたことをいわせてもらうと、超高層マンションに根本的に欠けているのは、この人間的機能だと思っています。







2008/11/18(火)18:55
ここまで踏み込んで大丈夫かな、と心配になりました。でも情報を集めて、再構成しているだけなので、これでは文句のつけようがないですね。パチパチパチ、拍手。