びおの七十二候

54

楓蔦黄・もみじつたきばむ

楓蔦黄
霧淡し禰宜(ねぎ)が掃きよる崖紅葉  杉田久女(ひさじょ)

紅葉(こうよう)は、季語では「もみじ」または「もみぢ」と読みます。黄葉も同様に「もみじ」または「もみぢ」と読みます。

秋霜や時雨の冷たさに、揉み出されるようにして色づくことから、「揉み出づ」→「もみづ」→「もみじ」→「紅葉」と転訛したといわれます。

紅葉(もみじ・もみぢ)は、楓を言いますが、その他の木にも、漆紅葉、櫨紅葉、銀杏黄葉、柏黄葉、柿紅葉、梅紅葉、合歓紅葉、満天星紅葉、葡萄紅葉、白樺黄葉などと付けられ、これらは名木紅葉として括られます。何の木ということなく、雑木林などの紅葉は雑木紅葉と呼ばれ、紅葉した草木の葉が照り輝くことを照葉といいます。紅葉のあと葉が落ちるのは、文字通り落葉といいます。

厳密に言うと、赤色に染まるのが紅葉(こうよう)、黄色になるのが黄葉(こうよう、おうよう)、褐色になるのを褐葉(かつよう)と呼びますが、時期が同じなので、これらはみな「紅葉」として扱われます。

紅葉、黄葉、褐葉の違いは、それぞれの色素を作り出す、葉の中の酵素系の違いと、気温(夜間の急激な冷え込み)、水湿(地下水分の減少)、紫外線(直射日光の強さ)などの自然条件の作用による酵素作用の違いが、複雑にからみあって起こります。

寒い場所、高緯度のところ、標高の高いところなどから順々に色付いていきますが、同じ場所で、同じ種類の木で、複数の現象が同時進行的にすすむ木を、カナダの奥地でみたことがあります。木の上部は赤く、真ん中は黄色に、下部はまだ緑の三段染めです。色と色のあいだはグラデーションが掛かっていて、それは見事なものでした。朝夕の寒暖の差が大きいからだと思いました。

前に『びお』の特集で、「十五夜お月さん」を取り上げた時に、ヨーロッパでは日本ほど月を愛でることはないと書きましたが、外国でも紅葉を愛でるのでしょうか。『森の生活』(飯田実訳/岩波書店)で知られるヘンリー・D・ソロー(1817〜1862年)に『オータムナル・ティンツ』(秋の色)という本があるにはありますが、日本の、いわば万葉的な取り上げ方とは違うようです。むろん、日本でも万葉の趣は薄れてきていますが……。

落葉について言えば、すべての樹木が秋に落葉するのではありません。竹の落葉期は春です。これを季語では「竹の秋」と言います。地中のタケノコを育てるため、竹は春に黄いばみ落葉します。「秋」は四季の一つというだけでなく、「麦秋」が夏の季語であるように、収穫の時を意味します。「秋」には、もう一つの意味があって、それは凋落です。秋が淋しげなのは、そのせいなのかも知れません。

永井荷風に

夕方や吹くともなしに竹の秋

という句がありますが、竹秋が春の季語であることを知らない人は、この句は秋の句と誤解するでしょうね。

竹だけでなくて、アカメモチ、アカメガシワ、アカメヤナギなども、若芽が紅葉するので、赤芽という呼び方をしています。赤芽になるのは、か弱い若葉が、春の紫外線を吸収して、組織への透過を防ぐためだそうです。

常緑樹の落葉は目立ちませんが、春から夏にかけて枯れ葉を落とします。

一般的に、広葉樹の方が落葉が多いと考えられていますが、実際には常緑針葉樹の方が落葉が多いことを、熊崎實さん(前岐阜県立森林文化アカデミー学長)からお聞きしたことがあります。針葉樹は落葉の分解速度が遅いので、落葉層という点からみれば、実は針葉樹の方が厚いというのです。

広葉樹は、秋に落葉し、落葉の分解が早いという特徴を持っていて、やがて春になって気温が上昇すると共に、越冬した落葉は分解を始め、鉱物と混合して、腐植土をつくります。この腐植土が栄養豊富な有機物を生み、それが川を伝わって海へと流れ出し、それを様々なプランクトンが摂取し、増殖したプランクトンは、その死後砂泥(さでい)に沈み、今度はそれをバクテリアやゴカイが食べ、またそれを餌として小魚・貝・エビなどが繁殖し、さらにはそれを大きな魚や水鳥が食べるという食物連鎖が形成されます。河川水に含まれる土砂には、約20〜50%の有機物が含まれていわれますが、ブナなどの落葉樹が果たす役割は、きわめて大きなものがあります。

けれども、それに引き換えて常緑針葉樹はダメだという、一部に言われている批判は当たらないというのが、熊崎さんの見方で、フルボ酸鉄などの有機物質は、実は常緑針葉樹の方が大きいといいます。この議論は、「近くの山の木で家をつくる運動宣言」をまとめるなかで問題になりました。

季語の話に戻ります。

「常盤木落葉」という季語があります。初夏の季語です。

杉落葉、檜落葉、松落葉、樟落葉、椎落葉、樫落葉、柊落葉などがあります。これらの木々は、初夏の頃から新葉がととのうにつれて、古葉を落とします。杉落葉は、一連ごと房のまま落ちます。松落葉は、新しい松の緑が伸びた頃、空から矢を射るようにして落ちます。

最近、都市部での常緑樹の落葉期のピークが早まっているという説があります。地球温暖化によるものでしょうか。

今回の句は、杉田久女の句です。コメントを下さった、たかはしまきこさんのリクエストにお応えしての久女の登場です。この句は、

霧淡し
禰宜が掃きよる
崖紅葉

と五七五と韻を踏んで詠むと、何故かぞくぞくと感じるものがあります。

霧が淡く立ち込めています。崖紅葉からはらはらと落葉があり、それを禰宜(禰宜は、神職の職階で、宮司・権 宮司の下の身分の者をいいます)が掃きよる音だけが聞こえます。単に紅葉というのではなく、崖紅葉というところが、いかにも久女です。

その場に久女が居合わせて句を詠んだのか、それとも想像で詠まれたものか分かりませんが、もし想像で詠まれたとしたら、余計に、それを詠む久女の心中がどこにあるか気になります。男は、その心中に引き込まれるような、一緒に淵に立たされるような、そんな危うさを覚えます。女の人は、この句をどう詠むのでしょうか。

久女のことは、草露白・くさのつゆしろしのときに紹介しましたが、もう一度記します。

杉田久女は、1890(明治23)年に鹿児島県に生まれました。東京のお茶の水高等女学校を卒業した後、小倉中学(現小倉高校)の教師となる杉田宇内と結婚し、小倉に住みます。久女は、後に小倉で橋本多佳子(鴻雁来・こうがんきたる)と運命的な出会いをすることになります。久女は、兄の影響で俳句を始め、やがて虚子の主宰する俳誌『ホトトギス』に投句するようになります。

花衣ぬぐや纏わる紐いろいろ

『ホトトギス』の雑詠欄に入選した最初の句です。花見のあと家に戻り、着物の紐を解いてほっとしたものの、花疲れを覚えたという句です。あでやかで艶美な匂いが立ち込める句です。およそ男には詠めない句として、絶賛を浴びました。

やがて久女は、変化に乏しく、田舎教師に甘んじている夫との不和を感じるようになり、

足袋(たび)つぐやノラともならず教師妻

という句を詠みます。ノラとは、そうあのイプセンの『人形の家』の主人公ノラです。ノラは、近代的自我に目覚め、意を決して「古い家」を出て行く女性です。が、久女はそれにならう決断がつきません。あゝ自分は、冷え切った家庭の中で教師の夫と暮らしている、そんなことでいいのかという、深い苦悩が感じられる句です。

この句を、もし夫が何かで見かけたらたまらないでしょうが、久女は、むしろそれを望んでいたのではないでしょうか。そういう恐さをいつも孕んでいるのが久女であって、それを不埒とみるのか、純真とみるのか……。

(こだま)して山ほととぎすほしいまま

帝国院風景賞特選に選ばれて賞賛を浴びた、絶頂期の句とされます。

思いの丈を一直線に詠むところに、久女のよさがありますが、度量に欠ける人には、そういう久女はうざったい存在なのでしょうね。

昭和11年、久女は突如虚子によってホトトギスの同人から除名されます。除名の原因はいくつか説があります。しかし、決定的なものはなく現在も謎です。

「ほととぎすほしいまま」と詠まれて、虚子の勘気に触ったのでしょうか。虚子の周辺にいる者どもの妬み、ヤキモチは、これはもう大変なものがあったのでしょうね。

しかし、この時以降、久女の俳人としての活動は萎んで行きます。ガラスのように、鋭いけれど、繊細で壊れ易い性格だったようです。

敗戦後の久女は、精神を病み、大宰府の精神病院に収容されます。栄養失調と同病院の劣悪な状態の中で衰弱し、1946年1月21日午前1時30分、57歳の短い生涯を閉じます。

文/小池一三
紅葉する樹:カエデ科(ヤマモミジ、ハウチワカエデ)・ニシキギ科(ニシキギ、ツリバナ)・ウルシ科(ツタウルシ、ヤマウルシ、ヌルデ)・ツツジ科(ヤマツツジ、レンゲツツジ、ドウダンツツジ)・ブドウ科(ツタ、ヤマブドウ)・バラ科(ヤマザクラ、ウワミズザクラ、カリン、ナナカマド)・スイカズラ科(ミヤマガマズミ、カンボク)・ウコギ科(タラノキ)・ミズキ科(ミズキ)
黄葉する樹
イチョウ科(イチョウ)・カバノキ科(シラカンバ)・ヤナギ科(ヤナギ、ポプラ、ドロノキ)・ニレ科(ハルニレ)・カエデ科(イタヤカエデ)・ニシキギ科(ツルウメモドキ)・ユキノシタ科(ノリウツギ、ゴトウヅル)
褐葉する樹
ブナ科(ブナ、ミズナラ、カシワ)・ニレ科(ケヤキ)・トチノキ科(トチノキ)・ズズカケノキ科(スズカケノキ)
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年11月02日の過去記事より再掲載)

モミジと猫