特集
遥かなる山の、遥かなる取り組み
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甲斐浩二さんの山と森林伐採ツアー

宿所を出るときには、ガスはまだ立ち込めていました。しかし、車が高度を上げるにしたがい、空に向かってガスが立ち昇って行きます。車中から外の風景を眺めながら、
高い山々どの山見てもよー
霧のかからぬ山はないよー
という「刈干切唄」の一節が、ふいと思い出されました。この唄のことは、出発前にインターネットで調べていて、音入りで「刈干切唄」を聴いていたこともあり、(童謡や民謡など、たいがいの歌はインターネットを通じて聴くことができます)この唄は、わたしの高千穂訪問の主調音となっていました。今年の正月に秩父を訪ねたときには、やはり「秩父音頭」を前もって聴いてから出掛けました。
高千穂の立ち上る霧を見ながら、この唄を想像で聴くのは、まあ旅の味わいというものでしょう。前夜の豪雨のことは、もうすっかり頭から消えていました。現金なものです。
その朝、わたしが訪ねたのは、契約林家の甲斐浩二さんのお宅でした。甲斐さんの家の前に棚田があります。稲田は青々とし、満々と水を蓄えていました。その向こうに民家が散見されます。まるで谷内六郎が描いたような、懐かしい山間風景がそこにありました。

左から、もくみの佐藤庫司さん、契約林家の甲斐浩二さん、もくみの谷川由香さん。
甲斐さんの家は道路の上にあります。おばあちゃんと奥さんが階段の上で出迎えてくれました。お二人はニコニコされていました。その顔を見るなり、この事業は、間違いなく林家に受け入れられていると確信しました。
このあたりは、山あいに僅かばかりの田畑があり、あとは杉の山です。かつては焼畑農業が行われ、刈干切唄の世界がありました。植林されたのは戦後のことで、どうしてこんなところにまで植えたのかと不思議なところが少なくないといいます。貧しさから脱するために、急傾斜の場所であっても、必死に植えたのだろうと思います。
しかし、杉を植えたものの収入になりません。
甲斐浩二さんは今45歳ですが、多分先代は一向にお金にならない山を見ては嘆いたことでしょう。その悔しい思いを浩二さんは引き継いでいます。庭先で迎えてくれたおばあちゃんの喜ぶ顔に、それまでの労苦と、やっと報われつつあるという感慨を見ました。
わたしは、甲斐さんに案内していただいて、伐採ツアーが行われた現場に立ちました。伐採現場は、甲斐さんの家から車で30分位の位置にあり、谷を臨む崖地にありました。ここまで作業道を敷き、材を曳き出す大変さに思いが及びました。
わたしは北欧フィンランドの伐採現場を視察したことがあります。フィンランドの森の大半は地形平坦な丘にあります。木は山から伐り出されるものだと思っていたので、伐採地までトラックが出入りし、野菜や果物を畑から収穫するように木を伐り出している現場は、驚き以外のなにものでもありませんでした。
真っ赤なBMWで乗り付けた若者が、自走式車両機械であるハーベスタ(立木の伐倒・枝払い・玉切りを一気にやってのける機械)とフォワーダ(機械処理集材)に乗り込み、実に効率よく作業をしていました。
それに比べると、日本の山はどこも急峻で、空中に張られた鋼索により木材を運搬する索道を用いたり、作業道を拓いたりの苦労が伴います。彼我の違いというけれど、あまりに大きな違いです。
古来から木材産地に伝えられる木曾式伐採法や運搬法、あるいは明治時代にまとめられた『吉野林業全書』による伝統的な育林作業の方法をみると、環境に与えるダメージを極力抑制しながら林業を営んできた歴史があることを知ることができます。木曽赤沢や、吉野の山に分け入ると、先人たちの知恵と工夫に感銘を受けますが、しかし、それに見合う単価が得られない現在、山は放棄され、線香林といわれるような状態を出来(しゅったい)せしめています。
その意味でも、この高千穂の山が、とにもかくにも〈生産現場〉として生きた存在であることは、とても大きなことだと、わたしには思われたのです。
植えられた苗木の横に、このツアーに参加した人達の思いが木札に書き記されていました。たどたどしい字で「CO2をへらそう」と書かれていました。子どもの字でした。

多分、佐藤庫司さんや、長崎秀人さん(長崎材木店代表)は、ここに立って苗木を植えることの意味をいろいろと語られたことでしょう。木札の書き込みは、そのことがあってのことと思われました。単なるパフォーマンスではなく、経済的な裏づけを持ち、協定まで結んでの実質がそこにありました。
これは、稀有な事実だと確信を持ちました。
この方式は、いうなら一種の「排出権取引」というべきものです。この契約書は、林家に対し40年間に亙って再造林が義務づけています。植えられた木は、その間、CO2を吸収し続けます。山に木を植えるのは、つまり一種の環境契約といえるのです。
京都議定書による「排出権」方式は姑息なもので、わたしは好みませんが、この協定書がそういう性格を持つものであることは確かです。
これまで日本の商社は、東南アジアの熱帯林で後は野となれ山となれ、という環境破壊をやってきました。それが地球温暖化による異常気象と重なってフィリピンの土砂災害を生んでいるとの報道があります。
だから、この試みは小さな一歩でありますが、その価値は高いのです。今回のやり方は、間違いなく林家に歓迎されていることであり、山も、工務店も、ユーザーも喜んでいます。
これは「近くの山の木で家をつくる運動」が生み出した一大成果といっていいのではないか、と思いました。
高千穂の山に植えられた苗木は、飫肥(おび)杉です。
飫肥杉は、発根性が優れており、挿木時の活着が良く、一年目の成長が早いのが特徴です。適地の範囲が広く、赤枯れ病にも強く、材質は強靭で、粘り気と弾力性があり、材の耐久力が大きく、節はほとんどが生き節で抜けがありません。
造林方法は挿木造林です。
江戸時代は1ha当たり750本、明治時代には1500本、戦後造林では2500本程度が植林されています。吉野などに比べると疎植です。吉野は、1ha当たり1万本とされ、日本の山の特色とされる密植間伐の典型ですが、それと比較すると、手入れは楽です。
高千穂の材は、岩盤質の中に含まれる石灰分や、酸化鉄の作用によって、ほんのりとピンクがかっており、長崎材木店はこの材質を生かした建築によって、ここ数年、業績を伸ばしています。
その業績向上に、この伐採ツアーが大きな役割を果たしていると、わたしは思いました。それは材が持つ良さというだけでなく、家を建てることの行為が、明日の環境に繫がるという気持ちを参加者に真摯に伝えているからだと思います。
建築主と一緒になっての協同・協働の精神が、固いタイトルを付けられた、「森林管理に関する協定書」を支えているのです。






2008/10/30(木)14:22
山の事、木の事
メールのタイミングが合っていたようですね。
最近は、伐採ツアーなど、一般の方が山の木に触れる機会が増えてきていますね。
とりあえず一度、山を訪れて、体に感じてみてほしいものです。
厳かで、雄大で、「身・清・浸」とした森林の空気を。
林家も今の社会で生き生きと受け継がれるためには、理想に燃える若者のエネルギーが必要なのでしょう。
山に若い人が残れること、そこで理想を実現できること。
一人では何もできないけれど、始めはいつも一人からだと思えば、
勇気がわいてくる、高千穂の取り組みです。