興味津々
興味津々・No.017
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宮澤賢治が愛した「イギリス海岸」が川底に水没していて、賢治の命日の9月21日に、十流のダムの放流を最小限にまで絞って観賞できるようにしたという報道があった▼賢治の「イギリス海岸」を知らない人は、海岸なのに何故川底に水没なのか、そこが分からないかもしれない。賢治は地学者でもあって、北上川と猿ヶ石川の合流点の川原が、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸に似ていることから、賢治が勝手に命名したものである▼賢治は、小学校の頃から「石コ賢さん」と仇名されるほど、鉱物や化石採集に熱心だった。彼は盛岡高等農林学校で専門的に地学を学び、花巻農学校の教師時代には、生徒たちと一緒にたびたび地質調査にでかけた。彼は、この学問を貧しい農村のために役立たせようと羅須地人協会をつくって、農民に地学を教え、土壌や肥料の相談に乗ったりした▼賢治は、童話『イギリス海岸』の中で「まったくもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がする」といい、ひまを見つけてはこの川原にたたずみ、地層を調べ、クルミの実やほにゅう類の足跡の化石など新第三紀(約2500万年〜200万年前)の泥岩にこころ躍らせた▼賢治はイギリス海岸をこよなく愛したが、その感動とは逆に、そこを「修羅の渚」とも呼んだ。「なみはあをざめ 支流はそそぎたしかにここは 修羅のなぎさ」(「イギリス海岸の歌」)。「青」と「修羅」が繰り返し出てくる詩である▼賢治が立った場所は、「飢餓の風土」でもあって、農民は酸えた土を相手にしていて、地学者である賢治は、肥料設計に心血を注いだが、農民の貧しさを救うものではなかった▼童話『イギリス海岸』と詩『イギリス海岸の歌』との二重奏、乖離(かいり)に賢治の苦悩があった。イギリス海岸に立つと、賢治は「風景は涙に揺すれ」るのであった。「四月の気層のひかりの底を 唾(つばき)し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」(「春と修羅」)▼この川原は賢治が詩をつくったり、童話のあらすじを練ったりする場でもあった。童話の世界『銀河鉄道の夜』も、『注文の多い料理店』も、『グスコーブドリの伝記』にも、賢治の二重奏は響いている▼今、イギリス海岸の上には三つのダムがあり、その放流によって、普段は水没している。






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