びお・七十二候

菊花開・きくのはなひらく

2008年10月13日 月曜日
Share on Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 菊花開・きくのはなひらく

菊花開

夏目漱石に、「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という有名な句があります。かつて漱石の恋愛の対象であったとされる大塚楠緒子が、インフルエンザを拗らせて35歳の若さで亡くなったとき、手向に詠まれた句です。楠緒子は、漱石の友人と結婚してしまいました。胸中に去来する何かを解き放ち、菊の花に思いを託したのです。この句、漱石にしてはエモーショナルで、そのわけを知るとなるほどと納得します。

菊の花は、葬送の花であったり、墓前に捧げる花というイメージがついて回ります。これは西洋の習慣が日本に入ってきたためです。西洋において、菊は墓参の花です。この習慣の影響から、病気見舞いに菊の花を贈ることは、日本でもタブーになりました。

サクラが日本の春を代表する花であるのに対し、もともと菊は日本の秋を象徴する花でした。決して葬送の花ではなかったのです。『万葉集』には、菊は詠まれていません。もし、菊が葬送の花なら、防人の歌にもっと詠まれていたでしょう。菊は、『古今和歌集』や『源氏物語』あたりから登場するようになりましたが、そのときにおいてさえ、菊は葬送の花ではありませんでした。

後鳥羽上皇(鎌倉時代)は、ことのほか菊の花を好みました。そして自らの印として愛用しました。後の天皇が慣例として用いたことにより、「菊紋」は、やがて天皇家の家紋になりました。もし菊が葬送の花であったなら、天皇家の家紋になるわけがありません。

江戸時代は、葵紋は幕府により禁止され、それは水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか」で知られたところですが、それとは対照的に菊紋の使用は自由とされ、一般庶民に愛されていました。店舗の商標や、和菓子の図案、仏具等の飾り金具などに多用されました。

菊の栽培熱は、江戸時代前期から高まりました。新たに多数の品種が生み出され、新花の品評がしばしば行なわれました。仕立ての様式や丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形なども観賞されるようになりました。世界的にみても、たとえば「江戸菊」のように、花弁が様々に動いて形そのものが変化して行く技法も現れて、幕末には、それによって本家の中国に逆輸入されて、中国の菊事情を一変させました。

明治時代に入ると、そうした花型の変化より、大輪の「大菊」を求める傾向が強まりました。花の直径が30センチに達するような品種も現れました。

この候の句は、向井去来(むかいきょらい/慶安4年〜宝永元年)のもの。
去来は、江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人です。
肥前国に生れ、長じて京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住みました。落柿舎は、芭蕉が『嵯峨日記』を執筆した場所として知られています。
この句は、秋の訪れを菊のつぼみに見ていて、当時、盛んになりつつあった菊の栽培熱を映し出しており、その興奮みたいなものが伝わってきます。菊花のつぼみは秋の到来を意味し、この時代、菊はこのように生きていたのだと実感させられます。

最後に菊花紋について触れておきます。
菊花紋章(きくかもんしょう)は、菊の花をかたどった家紋の総称であって、天皇家の家紋というだけではありません。160に近い種類があるそうです。天皇家の紋や、日本国発行の旅券は十六菊を使用していますが、変種も多く、たとえば自由民主党の党章は、十四影菊に自民字の丸だったりします。花弁により十菊や十二菊、裏菊、陰菊、菱菊、光琳菊、半分に割れた割菊や半菊、その半菊の下に水の流れが描かれた菊水などが、よく知られています。

俳句

菊from EyesPic

パスポート

自民党章from wikipedia

コメント・トラックバック

この記事へのトラックバックURL :

この記事へのコメントRSS

コメントはこちらから!

コメント

以下の記事もどうぞ
  • 寒露・菊花開(きくのはなひらく) ハゼラン

    例えば武将のような名前の主がほっそりとした草食系の男子だったりして拍子抜けすることってありません? 「爆蘭」― ハゼランの主がピンクの小さな小さな花をつける植…
    2009.10.13
    k5002thumb
  • 綿柎開・わたのはなしべひらく

    柎(はなしべ)とは、花の萼(ガク)のことで、綿を包む萼が開き始めることをいいます。このときから、綿の果実は晩秋に向けて成熟し、白棉を付けた種子となります。
    2008.8.25
    bio72_40
  • 処暑・綿柎開(わたのはなしべひらく) タカサゴユリ

    鉄砲ユリに似たタカサゴユリを今年の夏はあちこちで多く見うけます。高速道路の法面、畑の片隅、駐車場の奥、わが家の狭い庭にも3本、そして玄関のアプローチに1本はえて…
    2009.8.23
    kakasya_40
no01-2_umegochitop

立春といわれても、まだ冬だよ、といわれる寒波がこの列島を襲っています。けれど、日脚を見ると一日一日伸びていて、木々を見ると芽吹いていて、なるほど立春なのだ、春は立っているのだと思います。

町の工務店ネット町の工務店ネット

住まいネット新聞「びお」は、
町の工務店ネットがお届けしています。

最近の記事

記事を探す

月別

カテゴリー別

タグ別

現代町家

ツイッターtwitter

びおの関連・関心を
タイムリーにつぶやきます!

現代町家現代町家

その家は、前を通る人の家でもある。


ページトップ