興味津々
興味津々・No.006
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熊本県種山村(現東陽町)に「石匠館」というミュージアムがある。設計は木島安史。肥後は石橋の国である。日本で唯一、石の建築文化を持った国が肥後で、種山村はその本拠地である◆記録によれば、熊本県の石橋は、現存しているものだけで292橋を数える。有名なものでは矢部の通潤橋、水道橋の嚆矢(こうし)とされる。種山石工は、県外でも多くの仕事をしていて、皇居の旧二重橋も万世橋も、種山石工が造った橋である◆これらの仕事の多くは、江戸末期から明治初期に建造されているが、種山の石工が、何故かくも驚くべき石造技術を身につけたのか、その理由を知りたければ、石匠館を訪ねることだ◆技術の基は長崎のオランダ人たちだった。オランダ人は、東洋の地にはるばるやって来て、故郷を思うあまり、長崎にアーチ橋を架けた。日本人がロスアンゼルスに「リトル東京」を造ったようなものである◆このアーチ橋を架けるとき、種山村の石工が呼ばれた。肥後は加藤清正の熊本城の建造もあり、石垣技術を持っていた。しかし、築城と橋梁の建築は異なる。したがって石を加工できる職人ということで呼ばれたのであろう◆種山の石工たちは、現場に従事しながら、オランダ人から円周率やアーチ橋のかけ方を学んだ。しかし、果たしてそれだけで短時間のうちに、あの通潤橋のような高度な技術が身につくものかどうか。石匠館に行って、それが氷解した◆その秘密は、支保工の模型(橋の型枠)にあった。オランダ人たちは多分、種山村の職人たちにによって、支保工が巧みに組み上げる木工技術に舌を巻いたことだろう◆アーチの石は支保の上に丁寧に組まれるのであって、要するに、石橋技術の前に、高度な木工技術がものをいったのである。石匠館の支保工は実物大のもので、このミュージアムの最大の見所である。そこに、設計者の木島安史の種山石工への目線の確かさが感じられる◆付け加えるなら、肥後では、加工が容易な阿蘇凝灰岩がたくさん産出した。それが幸いして、次々と文化財的価値を持つ石橋が造られたのである。






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