設計のみつくろい
デッキ(玉井一匡)
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デッキ

デッキってなんだろう
ぼくはデッキが好きだ。しかし、「デッキ」ということばは古株のカタカナ語なので疑問をもったことがないけれど、ことばのモトの意味は何だろうかと気になったので、Macについている英語の辞書で「deck」を開いてみた。
「 船で、さまざまな高さに板や鉄板を水平に掛け渡してつくられた構造物、とりわけ、船の最上部にあって、太陽や風雨にさらされるものを指す」 と説明されている。
( a structure of planks or plates, approximately horizontal, extending across a ship or boat at any of various levels, esp. one of those at the highest level and open to the weather.)
ぼくたちがデッキといえば船の甲板のことを思うのは間違ってはいないわけだ。つぎに、「 住宅などの建物に付属する、プラットフォーム状の構造物。典型的なものは板張りで屋根がかけられていない。」とある。
(a platformlike structure, typically made of lumber and unroofed, attached to a house or other building : they cooked hamburgers on the deck adjoining the living room.)
正しいデッキとは斯くあるべし、なんてことをさがしているのではなくて、ぼくたちは「デッキ」ということばを建築の一部として使うようになったけれど、彼らはどう使っているのだろうかと気になっただけだが、これによれば、間違いではないようだ。デッキということばをつかうときに、ぼくはどこかで船を思い浮かべるのも勝手な連想ではないというわけだ。
家は大きいほうがいいというわけではない
家は、できるものなら大きいほどいいと誰もが思う。・・・だが、ほんとうにそうなのだろうか。敷地の広さにはかならず限度がある。限られた面積の敷地に家をつくるのだから、家が大きいほど残された敷地は小さくなる。 都市では土地の価格が高いぶん、なおさら敷地は小さい。だから法規の許す範囲でできるだけ大きな家をつくりたくなってしまうのが人情だ。ついつい忘れてしまうが、 いえをつくる目的は、できるだけ大きな家をつくることではなく、できるだけきもちよい家をつくることだ。
床と壁に囲まれ屋根におおわれた空間(ウチ)が家だとふつうは考えるけれど、その考え方をちょっと変えてみる。 ウチと残りの空間(ソト)を合わせた全体がいえなのだと考えるのだ。 たとば個室をすこし小さめにして居間を大きくとろうかと考えるように、ウチをすこし小さめにしてソトを大きくすれば、半端に残された土地も気持ちよく生活する空間として活かせるかもしれない。 ウチと残りの空間を合わせた全体がいえなのだと考えるようにすれば、その方がずーっと得なのだ。
そうやってすこし割りふりをふやしたソトが、連続的にウチとつながるようにして、家の中にとじこまらずに屋外にもひろがるようにすれば、ずーっときもちよい生活ができる。かつての下町の生活がそうであったように、小さな家に住んでいると生活の一部が自然にソトにこぼれ出すのだ。
ソトをできるだけ気持ちよく生活する空間にする重要なツールのひとつがデッキなのだとぼくは思う。デッキを、部屋の形態のひとつだと考えると、まず板張りの床をつくれば、青空が屋根、壁は自分の家、もうすこしひろげてしまえば、となりの家や向かいの家、生け垣も壁のひとつとする大きなソトの部屋ができる。前からそこにある樹もカーテンとして取り込んでしまう。
断熱気密と耐震がウチとソトを分離したけれど
住宅の断熱・気密の性能を向上させたことが家の中の居住性を向上させた半面で、ウチとソトを切り離す側面があった。しかも耐震性を強化するため壁がふえ開口を減らした。
まちのなかでもいなかでも、こどもたちが遊ぶ姿をみることがすっかり少なくなってしまったのは、あながちゲーム機のせいばかりではなく、こうした住宅の形式の変化、それも屋内の居住性の向上という変化がもたらした結果のひとつだろう。
これまで住宅の断熱・気密の性能を向上させることに必死になってきたのに、24時間換気を法的に義務づけられると釈然としないけれど、風通しをよく換気をすることそのものには異論がない。
家のソトにデッキをつくることは、気持よい場所をふやすだけではなく、こどもたちがあそぶ場所をふやすことでもある。ウチが冬に暖かく夏に涼しい場所なら、ソトには別の種類の気持よく楽しい空間をつくれば、こどもたちはウチからソトにむかってよろこんでこぼれだしてくるはずだ。デッキは、それを誘導するしかけなのだと思う。
デッキをつくる
デッキは床面積にも建築面積にもはいらないので、だれでもいつでも付け加えることができる。床と手すりくらいしかないので、足場に昇らなくても塗装ができる。手入れも自分でできる。多少の失敗をしたところで雨がもるという心配もいらない。デッキほどセルフビルドに向いているものはないのだ。はじめからつくっておくににこしたことはないけれど、あとでセルフビルドでつくる人のために、自分でも忘れないために、いくつかの要点をメモしておく。
デッキでメシを食べよう
ぼくたち日本人は恥ずかしがり屋で、生活をヒトから見られたがらないのだが、見られることを気にせずに、デッキで食事をしてしまおう。花見では、見苦しいほどに見せるではないか。すだれを下げれば少し隠せるし、そもそも、まじまじと見るなんてことをする人はいないのだから。
デッキの床の高さ
高さは、室内の床の高さと同じか、できるだけ近くする。低すぎるよりは、いっそのことすこし高い方がいい。室内の床からあまり低いとデッキの奥行きがせまく見えてしまうのだ。
おもての板だけでなく、下にある根太や大引も塗装をしておく。
板を固定すると、ここの塗り替えができない場合が多いので、下にもぐれないときは、板を固定せずにのせるだけにするのがいいかもしれない。
1945年長崎県生まれ新潟県出身東京都育ち
1969年東京大学工学部建築学科卒業同大学院修士課程
1971-1976 東孝光建築研究所(大学院中退)
1976 界工作舎設立(難波和彦と協同)
1977玉井一匡建築研究所設立
今日に至る。










2008/8/31(日)09:14
「日本の住まいには中間領域が必要です。」が持論です。
何故? 何故、我々は家を所有するのでしょうか が原点です。
建築の工法、取り組み方は、数多くあり どこかを選択し帰結点に行き着き、住まうという現実が、生活者の行動を左右する という大事な要素を考えることなく 進んでしまうことが大きな間違いです。
あなたは、我々は、今日の電気消費、灯油の消費をいくら使ったと一喜一憂しながら生活していますか。 毎月の維持費がかからない 当たり前なことです。
それ以前のことが、大事ということを忘れているのが 現在のチープな住まいしか存在しない理由です。
自分の生活圏を見回してください。乱立する住宅を客観的に観察して下さい。 何%の住まいが、その住まう方の人間性を大事にしていますか。
箱をつくり、返済して、毎月の維持費を気にして 25年の歳月を送らなければならないのです。
あなた、我々は、家族と共に暮らし、家族、本人 健康で心やすまる生活を望んでいるのではないのですか。
大事なのは、生活 つまり人間の生き方を最大限活かしきる空間が伴って 人間は生きる感動を、家を所有する喜びを得ることができ毎日の喜びがそなわってくると思います。
で、結論は 隣人の方と交流できる、気軽に会話できる接点が、デッキにあるということ、と思います。
日本人には、日本の生活様式があります。縁側で気軽に会話し日常のさもない会話が心のかてになっていると思います。
環境共生ということばがあります。 心の通じ合う共生が精神的つながりをはぐくむ と思います。
デッキと縁側を積極的に採用する 私の理由です。
2008/8/30(土)19:02
最近「家は本当は小さい方がいいと思う」と思うようになりました。「大きくて寂しい家」より「小さくても豊かな家」の効用は、いろんなところにありますものね。
でも、うっかりしていましたね。ウチと残りの空間を合わせた全体がいえなのだと考える事。
子供たちが自然にそこにいるような空間。
なんとなく一体に考えていたものの、積極的により楽しくなるように考えてみるともっともっと楽しくできそうで、ワクワクしてきました。
2008/8/30(土)05:00
個室を大きくしなければリビングが大きく取れる、いえを大きくしなければ、庭が大きくなる、なるほどなるほど、大きいヒントをもらいました。それでプランを考え直したら、いままでと違うプランになりました。発想の持ち方で、ずいぶん違ってくるものですね。