びおの七十二候

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大雨時行・たいうときどきにふる

大雨時行

夕立は、夏の暑い日の夕方、突然降るにわか雨をいいます。春にも秋にも、にわか雨がありますが、夕立とはいいません。夕立は夏の季語です。

暑気が払われた、夕立のあとの雨のにおいを嗅いだことがありますか。とてもいいものです。
しかし、この夕立という言葉は当て字です。夕方降るからという意味ではありません。『広辞苑』には、こう書かれています。
「天から降ることをタツといい、雷神が斎場に降臨することとする」
急な雷雨、激しい雷雨のことを「彌降いやふつ雨」といいます。この語が省略されて「やふたつ」になり「ゆふだち」になったのです。
夕立といえば、歌川広重の「名所江戸百景」大はしあたけの夕立が有名です。


「名所江戸百景」は、広重、最晩年の傑作で、118枚の風景版画を残しています。昨年開かれた広重展の案内のチラシには、

近景と遠景の大胆な対照とともに、西洋由来の遠近法が見事に消化された構図表現によって、江戸時代の浮世絵風景版画の頂点に位置づけられるものです。またこれは19世紀後半のヨーロッパでも受け入れられ、印象派や後期印象派のモネ、ゴッホ、ゴーガンらに強い影響を与えた浮世絵版画

だと書かれています。ゴッホは、明治時代になって日本から輸出された陶器の、緩衝材として使われていた反古の浮世絵を見て大きな驚きを覚えました。殊に、ゴッホにとって信じられなかったのは、「大はしあたけの夕立」の画面を斜に走る雨の繊細な線だったとされ、ゴッホはその模写を試みたのです。しかし、それは熟練の彫師の技術あってのものだったので、ゴッホの及ぶところではありませんでした。

しかしながら、昨今、夕立の楽しみは失われたといいます。
きれいな入道雲が湧き立ち、きまって夕立がやってくるということ自体が失われ、伝えられるのは局部豪雨による水害被害です。突如鉄砲水に襲われて、多数の犠牲者が出ました。排水路は、コンクリートで固められ、それが川の惨事を生みました。
この原因を、河川改修に問題があるとする識者の談話が新聞に出ていました。今の河川改修は、降った雨を川に集め早く海に流すという発想が支配的で、宅地開発のため川幅を狭め、大正時代に70mの川幅が11mにまで狭まった箇所があるといいます。
過去の災害で、4人が濁流に呑まれた神戸の都賀川(総延長1.8キロ)は、六甲山麓の川筋にあたる支流を入れても全長3キロに過ぎません。親水空間とやらで、18.8mの川幅のうち、両側2.5mに遊歩道を設けていました。護岸の高さは4mで、そこに急激な増水が生じて、逃れる術なく亡くなったのでした。

遊水池をたくさんつくったり、水を分散させるあり方など、その地域に適した方法が求められます。また、手入れがなされない人工林の山の影響も大きいといわれます。保水力を失った山の土は、降った雨を貯め込むことができず、大量の土砂を含みながら、激流となって川を下ります。
夕立を真に楽しむためにも、こういう問題をちゃんと考えたいと思います。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年08月04日の過去記事より再掲載)

大雨時行と猫